沼の主の話

門部:陸奥・常陸編:2011.07.21

「沼の主の話」というのも随分と漠然としたタイトルだが、今回は「ヌシの牛」の話である。が、それでも漠然とした話で、実際「水界と牛」というテーマを設けて全国に視野を向けたらべらぼうに拡散してしまう話となる。しかし今回の話の内容はそうではなく、特定の伝承に関するもの。

霞ヶ浦を渡る牛の話」において後半紹介した、かすみがうら市旧出島村牛渡に伝わった「若松長者」の話を理解するためのヒントとして、とある(陸奥・常陸の範囲での)沼のヌシの話と比較してみたものだ。

まずは再録となるが、その「若松長者」の話をもう一度あげておこう。

茨城出島:若松長者

若松長者:牛渡の台地(今の牛渡小学校のところ)に若松長者といわれる富豪が住んでいた。広い土地と多くのめし使いをつかっていた。一人の美しい娘がいて幸せなくらしをしていた。あるとき病気にかかり、医者や薬と手を尽くしたがききめがない。
占にみてもらったところ、〝牛の年の、牛の日の、牛の刻、に生まれた女の生き血を飲ませればなおる〟と、いわれた。長者の召使いに一人それにあたる女がいた。そこでその女に宿下がりをさせ、その途中殺すこととした。見事殺す事ができ、生き血をのませたら、たちどころに病気がなおった。
そこに宿下がりから召使いが帰って来た。不思議なことだ。長者が守本尊のあみださまをみたら、召使いをきりつけたと思われるところに刀のきずがあった。あみださまが身代わりになったのだ。それから長者の家は没落し、長者は都へ行ったといわれる。

『霞ヶ浦の民俗』より引用

相変わらずよく分からない(笑)。おそらくは「原因不明の病にかかった娘と牛に関する何か」の話があり、これが下って「身代わり本尊」の話に組込まれたのだろうと思う。全体を通して解題するのは難しいので、この「原因不明の病い」と「牛」というコードの共通する話を見てみよう。

そういった話が陸奥にあるのだ。それは陸奥伊達郡・福島県伊達市の半田沼に伝わるヌシの話。この話には重要なヒントがたくさん語られている。

福島:半田沼の主

半田沼
半田沼
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半田沼の主(要約)
伊達郡森江野村に、塚野目という武士の一人娘で早百合という美しい娘がいた。この娘が病気になり、「半田沼の水がのみたい」とくり返す。半田沼とは昔の銀山・半田山の山腹にある古沼のことだ。沼の水を娘に飲ませると病は治った。その後も病になるたびに半田沼の水を飲ませると娘は良くなるのだった。しかしある日娘は姿を消す。皆で探すと半田沼の岸の松に着物がかかっていた。沼底を探させた水もぐりは奇怪な体験をする。沼に潜ると機織る音が聞え、底には立派な屋敷があった。奥の間には早百合がおり、一人で機を織っていた。早百合は沼の主に見込まれ妻となったのでもう戻れない、と言う。水もぐりがふすまを細く開けて次の間を見ると大きな赤牛が寝ているのだった。

註 魔の沼の主、赤牛とは、文治の頃源義経が平泉に秀衡を頼りにこの山をこえた時、金銀を背負った一頭の牛が、にわかに驚き狂い、沼の中に落ち込みました。これが沼の主になったといい伝えられています。後年、日照りがつづくと、農民は沼のほとりで雨乞いをします。 いまでも「早百合どの」と、沼のほとりから、水底によびかけると、必らず雨がふってくるといわれております。

未来社『日本の民話 3 福島篇』より要約

娘は半田沼の水を飲むことにより回復する。しかし、これは通常の「回復」ではない。徐々に沼の主の赤牛と同族に変化して行っていることを示していると思う。すなわち、赤牛に見込まれた時点で人として暮らすのに不都合な体質(病い)となってしまい、以降沼の水を飲みヌシの眷属化が進むことで回復「したように見える」状態がしばらく続いた、ということだ。

これは直ちに「出島牛渡の若松長者の娘もそうだったのではないか」と思わせる。若松長者の娘の原因不明の病いとは何らかのヌシに見込まれた状態だった。〝牛の年の、牛の日の、牛の刻、に生まれた女の生き血を飲ませればなおる〟という占の異様な託宣とは、そのヌシの眷属化することで生きながらえることはできるだろう、という話だったのではないか。守り本尊の話に組込まれる前には、長者の娘は回復するもののやがて霞ヶ浦にとびこんでしまい、長者家は没落した、という話だったのではないか。

次に半田沼の赤牛の出自。初めから牛がヌシだったわけではないことが註に語られている。義経の連れた牛が沼にとびこんでヌシとなっている。そして雨乞いが関係している。

これは牛を供儀とする雨乞いの習俗が半田沼にあったのではないか、と思わせる。供儀とされたものがヌシ化する例はまま見られる。そして、これも出島牛渡に大きく響く。牛渡には牛を弔ったという牛塚があることは「霞ヶ浦を渡る牛の話」に述べた。同時に、鹿島神宮へ赴く国司が船上牛を連れていた、という類型があることも述べた。何故国司は牛を連れていたのか。私はここが大変気になっているのだ。

牛塚古墳
牛塚古墳
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霞ヶ浦出島の先は「三叉沖」と呼ばれる。私はここは古代から現代に至るまで一種の「魔の海域」とされてきただろうと考えている。いや、考えているというよりそう聞いたのだ。出島の岸で釣りをされていた方に聞いたのだが、その方は船釣りもされるそうで霞ヶ浦に船を出すこともあるのだけれど、三叉沖というのは危険だそうな。

霞ヶ浦の三叉沖
左から出島、その先が三叉沖
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特に「筑波おろし」という北西風が強く吹く冬から春先は、高浜入りからの波と、土浦入りからの波が三叉沖でぶつかり大きな三角波ができやすいのだそうな。そして、これは各種伝承とも合致する。

「国分寺の鐘」という話で石岡の常陸国分寺から鐘を盗み出した大力の大泥棒(弁慶とも言う)は、船に鐘を積んで高浜入りから三叉沖へと進んだが、三叉沖でにわかに嵐が起り、これを鐘の祟りと畏れた泥棒は鐘を三叉沖に沈めた。

また、稲敷市の浮島に「姫宮神社」が鎮座するが、ここは佐竹氏に攻め滅ぼされんとしたこの地の一族の姫君を弔ったのが創始と伝わる。その際、囲いを脱した姫君は小舟で霞ヶ浦に逃げ出したが、三叉沖にさしかかったところ大風に見舞われあえなく転覆し、水底に沈んだという。

左から出島、その先が三叉沖
左から出島、その先が三叉沖
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おそらく霞ヶ浦のヌシの神威は三叉沖に現れる、とされてきたのだ。だから、国司は牛を船上連れていたのではないか。三叉沖で嵐が起ったら供儀として牛を沈める、そういうことだったのではないか。

このように比べて見ていくと、「若松長者」の話がもともとは「半田沼の主」のような話だったのではないかと思えてくる。その次に重要な点として、今度は赤牛に見込まれた塚野目の娘がヌシ化している節があるという問題がある(名の「早百合」と、水神への人身御供譚の典型に見る「小夜・佐用姫」との類似がそれを暗示している)が、あるいは霞ヶ浦周辺にも出没する「大蛇の化身の美少女」がそうであるのかもしれない。

この点は現状「牛渡」に直結する話を見つけていないのでさて置くが、いずれにしても雨乞いか嵐鎮めかの違いはあるが、「牛の供儀」というキーワードを半田沼から拝借して来ることは、出島牛渡を中心とする「霞ヶ浦を渡る牛」の話を読み解くためのひとつの視点となるだろう。同時に「若松長者」の話を「霞ヶ浦を渡る牛」の話へ接続するためのコードはそれしかないだろうとも考えている。

つまり、出島牛渡を巡る牛の話はあるいは「霞ヶ浦のヌシ」の話に直結するかもしれない、ということだ。今回はその一点を指摘して幕とするが、実はここには途方もない大きな話が関連して来る可能性がある。以下蛇足としてそのアウトラインを紹介しておこう。

蛇足:桔梗姫の話

先の半田沼の西北西10キロほどのところには現在ダム湖の「茂庭っ湖」があるが、かつてはここのあたりに「菅沼」という沼があったそうな。そこに大蛇伝説がある。

菅沼の大蛇(要約)
伊達郡茂庭村布入に、菅沼という大沼があり大蛇がいた。村人は三年に一度大蛇を祭り、美少女をお供えとしてしていた。ある年茂庭村が少女を出す番になったが、村には年頃の娘がいなかった。仕方なくお金を出し合ってよそから少女を買いお供えとしようと決まり、文五郎という者が旅に出た。冬から春へと各地を回っても蛇の贄に娘を売ろうという者はなかったが、ついに那須野の猟師の娘が主君のため、人を助けるためなら、と申し出た。猟師の主君(斉藤)実良が父の一周忌でも法要の金がなく困っていたのだ。娘と文五郎が去った後、猟師が主君実良に事の次第を話すと、実良は驚き、直ちに菅沼の大蛇を討つべく家来を連れて沼へ向った。
茂庭村では実良の蛇退治の申し出に驚き喜ぶが、大蛇の仕返しを恐れて話がまとまらなかった。すると稲束稲荷に一頭の白狐が現れ、白羽の矢二本を実良の前に置いた。人々は神さまも味方であると喜び、実良は大蛇退治に向った。娘を沼岸に供え、祭りを行うと辺りは暗闇に覆われ、大雨がふり、沼から大蛇が半身を現した。すると二羽の白鳥が沼の上を飛び回り、雨が止み、雲霧が晴れて光が射した。時を逃がさず実良が矢を射ると、見事に大蛇の急所である舌を貫き、大蛇は水底に沈んだ。

未来社『日本の民話 3 福島篇』より要約

この話では大蛇は実良に討たれ沈んでるが、類話では半死半生で「半田沼へと逃げようとした」というものがある。その逃走の過程で不動尊に引導を渡されたという蓮華滝という滝も茂庭にはある。なぜ、半田沼へと逃げようとしたのか。

この大蛇はもともと半田沼におり、沼が手狭となったので菅沼へと移ってきた、という伝説を持っている。半田沼へ帰ろうとしたわけだ。そして、この伝説ではこの大蛇は「桔梗姫」の事だとされているのだ。

平将門の妾(妻・娘とも)である桔梗姫が敵将である藤原秀郷(俵藤太)に心を寄せてしまう。そして、ついには桔梗姫は秀郷に将門の秘密(影武者のこと、弱点の事)を漏らしてしまい、将門は秀郷に討ち取られる。後、利用されていたと知った桔梗姫は半狂乱になり秀郷を追うが……という話がある。類話異系は甚だ多いので、ここは大雑把に。

これが福島ではこの桔梗姫はそもそも秀郷が瀬田の唐橋で出会った蛇の化身である美女(に頼まれて秀郷は大ムカデを倒す)と秀郷との間にできた娘であったというのだ。桔梗姫は父と知らず秀郷に恋してしまったわけだ。秀郷に裏切られた桔梗姫は半狂乱になって秀郷を追ううちに、水面に映る自分の姿が大蛇になっていることに気がつく。そして身を投げたのが福島の半田沼で、後に半田沼が小さかったので茂庭の菅沼に移ったのだという。

将門最期の地は現在の坂東市岩井。その知らせを聞いた桔梗姫は取手市大日塚ではそこから身を投げたと伝わっている。この舞台は霞ヶ浦出島からは南西に30キロほどのところだ。

桔梗姫が身を投げたという大日塚
桔梗姫が身を投げたという大日塚
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こういった連絡が霞ヶ浦周辺と半田沼・菅沼にはある。出島と半田沼の話を比べて見たのは、単に「似ている」からだけではなく、おそらくは中世の将門伝説・奥州藤原氏の伝説を東山道沿いに語り伝えた人々の動きがあるのじゃないか、という点も関係する(私は桔梗姫と菅沼の大蛇の話は秀郷を遠祖と伝える奥州藤原氏の出自にまつわる話だと考えている)。

とんだ「蛇足」になったが、要するに伝承ひとつ考えるのも容易なこっちゃないという話だ。その話の示す古代の側面は何か、中世にどんな物語に巻き込まれていたのか、近世にどんな再編集が成されたのか……出島の牛の話ひとつですらこの有様なのである。そこをほぐして行った時にどんな霞ヶ浦のヌシが姿を現すのか、いまだに想像もつかない。

沼の主の話 2011.07.21

陸奥・常陸編:

関連ページ:

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「霞ヶ浦を渡る牛の話」の後半に補遺として掲載した話の解題のための試みが「沼の主の話」となっている。併せて参照されたい。
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