常南行:阿見・美浦

門部:陸奥・常陸編:twitterまとめ:2011.07.09

またまた(一週間ぶりだが)朝の土浦駅でぼけっとバスを待っとりますと、付近に柊鰯があった。夏もやるのか……もしや一年中やっとんのか?

とりあえずバスで稲敷郡阿見町の方へと向います。土浦から阿見の中心部へは3本/hくらいはバスがありますな。その先、美浦・江戸崎の方へは1本/hくらい。で、先月日没エンドとなっておりました阿見町阿見の「阿弥神社」さんへ。
大変独特なお屋根の乗った大鳥居がそびえるのであります。ここは信太郡二宮として、また式内論社として竹来(たかく)と阿見に阿弥神社が二社あるという問題がある。
が、この問題は結構あっさり片がついてしまいそうだ。話が前後するが、この日後半あたしは楯縫神社の宮司様に偶然あうことができたのだけれど、宮司さん曰く「阿見の方はね、予科練の中にあったのを戦後外に大きく造っただけ」なんだそうな。
もっともこちらの阿弥神社もこう見ると地域総鎮守の風格ではあるし、予科練内に祀られていた阿弥神社が古い可能性もあるけれど、それでも「(二宮・式内の)古い阿弥神社さんは竹来の方」という感覚が当然のもののようだ。
ま、この朝の段階ではそうなるとはツユも思わずで、何かヒントはないかと七福神さんたちにお伺いしていたりしたのだけれど。どこにでもあるとはいえ、常陸はこの壊れた七福神さんが神社に集って来る率が妙に高い。
お狐さんも、なんかご存知ありませんかと思いつつ……あなたコラ、センターの電気鼠、君は違うでしょうが(笑)。
いずれにしても阿見のここ阿弥神社が大きくなったのは「現代」の話となるので、基本的には竹来阿弥神社とその周辺の関係社のことを考えて行けば良いようである。竹来は行くのは少し大変なんでこちらが里宮、という感じかね。
阿弥神社さんを後にしまして、一路南に「金刀比羅神社」さんを目指しております。ここは単立で地図上にも見えない小さな神社さんですが、何故立ち寄るのかと申しますと……
んちゃ!
なーんと蛇に形作る注連縄を持つ神社さんなのでした。あたくし大騒ぎしてる割に「生」で見るのは初めてであります。かつてこの地にあった沼を干拓する際、大蛇が飛び出して下妻の方へ逃げて行ったそうな。天保のことだと言う。
霞ヶ浦周辺は干拓に関する話題は事欠かない土地故、それ絡みの大蛇の話も多い。勿論盆綱とかとの関係もあるのだろうけど、実際蛇の形に注連縄を作っているところはゾロゾロとあるわけではないので貴重ですな。
鳥居脇には道祖神さんがおって、ここも二股大根が供えられていた。どうも社頭に道祖神さんを置くというのは一つの型のようですな。

若栗というところの「八坂神社」さんへ。どうもこの注連縄の飾りは(「徳利」という認識であるようだ)阿見が本場なのかなぁ。分布密度が他とは違う。
この八坂神社さんに関してはちょっと保留。大雑把には荒川本郷というというところから流れて来た神像を拾って云々……というところなのだけれど、その拾われた場所が「どうめき」という「水の聖地」なのだと社頭に書いてある。
「どうめき」の沢の話は読んでいたが、落城と姫さんと……という典型話を見ていただけで、よもや「水の聖地」と書かれるような場所とは思わなんだ。阿見一帯の重要なところかもしれないので、少し調べ直しが必要ですな。
朝方雲が多かったものの、この辺から晴れだしまして、一時間くらいでもう「ヤベーんじゃねえの?」という消耗具合。んが、この辺りこういった車道と車道を繋ぐような林中の捷径が所々にありまして大変助かりましてございます。

そして本日の隠れ第一目標の若栗「鹿島神社」さんを捜索。この間もちらと書きましたが、地図で見ても建築物がない。どうなっておるのかと思いましたが、鳥居発見。
今は石祠となっておるのでした。ここが『神社誌』に「竹来阿弥神社の后神を祀る」とある鹿島さんな訳ですよ。竹来三社と古女子神社に加え、ここも竹来阿弥神社関連神社として、おさえておかねばならないところだ。
ここはこんなところ。お堂があって奥に祖霊の杜があって……なんてぇ、のどかな……という感じではありませんで(笑)、いや、そうなのだけれど暑すぎてあたくしこの段階で1/3は融けておりまする。

日陰を……もっと日陰を……ということでヒイコラと追原というところの「皇産靈・鹿島神社」さんへ。どっちやねん、ということだが『神社誌』には皇産靈神社とあり、地図には鹿島神社と。
人もおらず額もなし……ということで実態不明。普通なら『神社誌』に従って皇産靈神社なんだけれど(要するに第六天だ)、この社殿のつくりはこの辺では阿弥神社関連神社もの(私見)なんだよね。うーむ。
謎のままだけれど社殿背後の竹林は素晴らしかった。適度な間隔で光の射し込む竹林は良いですなぁ。しかもこの涼しげな感じで蚊がおらぬ。素晴らしい。
ところで先ほどからのこれだけれど、どれも墨書がしてあって、『阿見の昔ばなし』によるとこれは「𠆢」の下に「一」だそうな(意味は書いてない)。「亼」が近いか。んが、各所微妙に違うような……
阿見の土地には「清明川」という河が流れる。「信太」だからかねぇ。安倍晴明伝説は常陸は北の方にあるように思うが……関係あるのかな。
うはー!天翔る狛犬さんー!とか思ってパシャパシャ撮ったのだけれど、今見るとそうでもないな(笑)。暑さで脳がうにっとなっとったんだろうか。

石川というところへ。ここは単立の「鹿島神社」さん。単立故に委細不明。なんで寄ったのかというと……うーん、絶賛地震後の修繕中ということでしたので次のところでこれは書こうかな。
と、その前に。社頭の道祖神さんに実にリッパな二股大根が。いやー、こう瑞々しい大根が供えられていると何だか艶かしいですなぁ。

近くの「皇産霊神社」さん。「すめむすび」である。ここは神社庁管轄。
この辺『神社誌』には第六天だった、という記述はないのだけれど、『阿見の昔ばなし』にはいかに阿見が第六天をよく祀る土地だったか、というお話があり、間違いない。で、ここと先の鹿島さんには「鳥居がない」。小さいお宮だからではなく、石川の土地は鳥居・鶏が禁忌なのだ。
大昔武甕槌の神がこの地で戦った時、待ち伏せ一網打尽の策を取られた。んが、鶏が鳴いてしまい神の位置が敵にバレ、待ち伏せに失敗してしまった。故に土地のものたちは申し訳なく思い、以降鶏を飼わず、食べず、鳥居も禁忌とした、という。
また一方で、隣りの美浦の布佐と小競り合いがあったとき、布佐が勝って布佐の鶏が誇らしげに高鳴いたので、悔しい石川は以降鶏を禁忌としたという話もある(笑)。いずれにしても今もそういう禁忌があるのかな、と思って寄ったのだけれど、いやー、誰も外におらんでした(TΔT)。
炎天下は話を聞くには考えものですな。人出がない。ところで皇産霊神社さんの境内のこの石が気になったのだけれど……古墳だったとかかしら。これは調べておかんと。

さて、道行きは阿見町から美浦(みほ)村へと突入しまして「幡神神社」さんへ。栲幡千千姫命を祀る、この辺りではあまり見ないパタンの神社だ。素晴らしい……けどクソ暑い(笑)……青空。
あまり見ない、だけなら「ふーん」で終るのだが、地名が「布佐」という点とセットとなるとあだやスルーはできない。
ところで後で楯縫の宮司さんに聞いたのだけれど、写真のステンレスの鳥居は311の震災で石鳥居が崩れた後に造られたそうな。各地だんだんとなおってきている。しかし鳥居が禁忌の土地のすぐ隣りで鳥居無しではいられなかった、というのは面白いね。
まるで本筋とは関係ないけど、ここ幡神神社さんにはささやかなベンチがあってね?助かりましたねあたくしは。きっと素晴らしい女神様に違いない。天孫の御母神になに言ってんだという感じだが、こうした些細なことで目が向くこともある。
TL上でトトロワードが出たので社殿後背の大樹をのせちゃおう。何たる枝振りであることか。自然に直線はない。リニアにも話は進まない。
さらに東進。なぁーつーうぅぅぅぅっ!ってな感じ。

やってきましたのは表第一目標木原の「楯縫神社」。信太郡一宮にして式内の古社。普都大神が武装を残して天に帰られたという風土記の故事を伝えるところであります。
神のやしろを想う』の伊達さんも言っておられますが、大変緑の美しい社叢。ほあーっと、しておりますと背後からひと気が。麦わら帽子に肌着のおとっつあんがチャリでやってまいりました。
これ幸いとお話を聞こうと……「信太(字)の方にも楯縫神社さんってありますよねぇ」と軽くふってみますと「あそこはねぇ、楯縫さん一宮にするってんで、こことどっちにしようかってなってねぇ……」などとおっしゃる。千年以上前のことでしょうに(笑)。あたしはこの感覚を知っている。
経験的に言って千年前のことを昨日のことのように話しだすのは御神職である。「あの、御神職の方で?」と聞いてみますと「あ、私ここの宮司です」ときたもんだ。人は見かけで判断しちゃイカンとばっちゃが言ってた(笑)。
そんなこんなで最初の阿弥神社さんのこととか幡神さんのこととかあれこれ教えていただくことができたのだけれど、最後に乾坤一擲、木原と信太の両楯縫神社はどっちがもとですかね、とお聞きした所……「信太のが古いかもしらんね」とおっしゃった。キター!
信太の楯縫神社は式内論社としては名が上がらない。んが、あたしも地勢的に信太の方が古いように考えていた。宮司さんがそう言うのなら憚ることなく(どのみち憚らないが……笑)、考えることができるってなもんである。
もっとも宮司さん曰く「古代の時点で両社あった」ということなので神名帳に記録されたのは木原だ、でも良いのだけれど。ここ木原の境内もその歴史を感じるに十二分なところではあります。

そして、俄然盛り上がってきたところでその信太の「楯縫神社」へと参ったのであります。
で、鳥居を潜って参道の時点で立ちすくむあたし。ここは……ここは下総に物部氏の足跡を伝える柏市布瀬の「香取鳥見神社」の社地にそっくりだ。
岬の岡の稜線上に長い参道が続き、その先端で海へ背面して社殿が構えられる。どういうことだろう。古代物部氏の神祀りの様式を今に反映しているのか、ここと布瀬の鳥見神社は。
とまあ最後の最後で恐るべき一手を打たれて長考に入らざるを得ないあたくしなのでありました。いつものことだが(笑)。そういえば境内社にサンダワラみたいなのがあったね。巨大な謎に翻弄されそうな時はこういうのが和む。
信太楯縫さんを後にしまして振り返ってそのかつて岬であったろう丘陵を望む。今年の頭に鳥見神社を回った時にはこんなことになるとは思わなんだなぁ。
そんなこんなの阿見・美浦行でした。実は帰りのバスのバス停のすぐ近くにさらに鹿島さんがあったのだけれど、あたくしすでに石段を登る気力がなかったのでした(笑)。暑かったけれど熱い一日でありました。

補遺:

常南行:阿見・美浦 2011.07.09

陸奥・常陸編:

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