東〜南伊豆の三嶋関連神社
庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2012.06.09
伊豆編再開のための復習もかねて(もう再開しちゃってるけど)、ちょっと熱海市・伊東市・東伊豆町・河津町・下田市・南伊豆町の三嶋関連社を一覧しようかと。掲載されている社は、左マップで位置を確認することができます。 神社名の前のマークは…… ○は概ねそうだと了解されている社。 △はその伝・論がある社。 ×は私見。 ■は廃絶。 |
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熱海市
○阿治古神社(網代) 大島の波布大后の御子神・阿治古命を祀っていたと思われる。近世は神明社として奉祭されていたが、網代がそもそも阿治古からの転訛であると見る向きもあり、『多賀神社記』(安政四年)には網代から多賀の一帯を阿治古と呼んでいた、とある。 |
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○若宮神社(網代朝日山) 阿治古神社の元宮。 |
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伊東市
○比波預天神社(宇佐美) 式内:加理波夜須多祁比波預命神社(最有力論社)。加理波夜須多祁比波預命は三島溝橛耳神の長子であると伝える。私見では島嶼と海浜に醸成した伊豆三嶋信仰を内陸の伊豆国造系に接続するためにまつられた神格。 |
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×新井神社(新井) 新井神社そのものの前身は諏訪神社上下社だが、夷神社が合祀されており、この祭神は「倹子」と書いて「オキノミコ」と読む神。おそらく三嶋の御子神の一柱だろうと私は思う。 |
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○三島神社(川奈) 特に式内論社として名はあがらない。社殿は正確に現・三島大社を向いて造営されており、この結構そのものは中世以降とられたものと思われる。 |
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△夷子神社(上写真) ×姥子神社(下写真)(川奈) 夷子神社は式内:伊波氐別命神社論社(最有力論社は南伊豆町の諏訪神社)。私見では川奈は川奈三島神社を父神、姥子神社を后神、夷子神社を御子神として祀る信仰空間を持っていた湾である。姥子神社はかつて深い海蝕洞窟で、古墳時代の祭祀土器(土師器)と思われる高杯と、同層から三十個のアワビの殻などが見つかっている。 |
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○三島神社(富戸) 式内:許志伎命神社の論社(本社は八丈島)。許志伎命は八丈島の后神・優婆夷命の御子神。伊豆の三嶋信仰は単純に「島々の神」を祀ってきた(御島の神)ものに西の三島神の名をかぶせたものと考えられているが、富戸の三島神社は実際「御島神社(明神)」と号していた社だった。 |
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○八幡宮來宮神社(八幡野) 來宮神社は式内:伊波久良和気命神社(南伊豆町子浦港の八幡神社と並ぶ有力論社)。來宮はもと海際の「堂の窟(岩倉)」に祀られていた。南伊豆町子浦では伊波久良和気命は三嶋大明神の御子神であると伝えている。 |
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○三島神社(赤沢) 式内:加理波夜須多祁比波預命神社の論社……ではあるが、大した根拠ではない。しかし、三嶋大明神は神津島より渡って来られたと伝え、社殿が正確に神津島を向いて造営されている。 |
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賀茂郡東伊豆町
○三島神社(伊豆大川) とくに式内論社としては名はあがらない。それをにおわせる伝もない。 |
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○片菅神社(上写真・片瀬) ○志理太乎宜(来宮)神社(下写真・白田) 三宅島の后神・佐伎多麻比咩命の御子神八柱(八王子)のうち、片菅命(かたすけの王子)・志理太(乎)宜命(志たひの王子)を早くから祀っていたと考えられる社(共に本社は三宅島)。片瀬白田の地名もここからと考えられる。しかし共に中近世は八幡だった。 |
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○三島神社(上写真・稲取) ○赤松神社(下写真・稲取) 稲取の古社と伝えるが、特に式内論社としては名はあがらない。赤松神社は稲取三島神社の元宮と伝える。赤松神社は稲取の岬を一望し、その先に伊豆諸島を見晴らす絶好のポイントでもある。 |
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○八幡神社(稲取) 相殿の若宮は穂都佐氣命(摩牟祢明神)を祀ってきたと伝える(最有力論社は南伊豆町大瀬の王子神社)。古く稲取の灯台のあるあたりは秀都(ほづ)の崎と称していたと言う。穂都佐氣命(まんねい子=酒王子)は、三宅島の后神・伊古奈姫命の御子神。阿米都和氣(あんねい子=飯王子)は兄神になる。 |
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賀茂郡河津町
○見高神社 式内:多祁伊志豆伎命神社(最有力論社)。しかし、多祁伊志豆伎命は係累・詳細不明の神。ただし、三嶋大明神を勧請した社であると伝わり、また、社殿は正確に杉桙別命神社の方を向いて造営されており、関係社であるのは間違いないと思われる。 |
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×須佐乃男神社(浜) 合祀の御釋(おんしゃく)神社は三宅島の式内:佐伎多麻比咩命神社最有力論社の御笏神社に関係していると思う。 |
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△河津八幡神社(谷津) 合祀の木崎神社祭神は杉桙別命と共に河津に上陸された神と伝わる。私見だが木崎は后のことのように思う。また、同谷津の南禅寺に伝世する薬師如来像(三嶋大明神の本地仏)を中心とした聖観音像以下十数体は三嶋の神々のパンテオンを示していたと考えられる。 |
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○杉桙別命神社(来宮) 式内:杉桙別命神社(最有力論社)。杉桙別命は三嶋大神の眷属と伝わる。 |
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○姫宮神社(笹原) 式内:笹原比咩命神社(最有力論社)。杉桙別命の后神とも伝わる。 |
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■三嶋大明神(川津筏場) 現在三養院のある近くに鎮座していたと伝わる。小川三嶋大明神。これが分裂遷座したのが上佐ヶ野の三島神社と逆川の三島神社。 |
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○三島神社(上佐ヶ野) 式内:布佐乎宜命神社の論社とされ、御祭神も布佐乎宜命となっているが、おそらく混同がある。先の小川三嶋大明神の後裔社と見る方がよい。 |
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○子安神社(縄地) 式内:奈疑知命神社(最有力論社)。奈疑知命は係累・詳細不明の神。ただし賀茂郡の相模湾側(伊豆諸島側)の式内社で伊豆独自の神格を祀る社はすべて三嶋大明神にまつわる社だと考えられている(そうでなければ式内社にならなかった)。 |
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○三島神社(逆川) 式内:布佐乎宜命神社(最有力論社)。布佐乎宜命は係累・詳細不明。しかし「若宮」と称してきたことから御子神の一柱だと思われる。小川三嶋大明神が分裂遷座する以前から、ここは布佐乎宜命を祀ってきた土地だった、と思う。 |
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下田市
○波夜多麻和氣命神社(相玉) 式内:波夜多麻和氣命神社(最有力論社)。地名の相玉は波夜多麻からの転訛とされる。しかし、波夜多麻和氣命は係累・詳細不明の神。中古はもっぱら「天神」と称してた。三嶋御子神の社が「天神」とされた代表例か。 |
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○八幡神社(河内) 多祁美加々命を祀っていたと伝える(本社は新島)。後背の山は大三山といい、大三王子(だいさんおうじ)とは多祁美加々命の別名。『南豆神祇誌』には「第三王子(ていさんおうじ)」を祀っていたとあるが、第三王子は弟神(誤記か)。 |
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○天馬駒神社(蓮台寺) 佐伎多麻比咩命を祀る(本社は三宅島)。詳細不明ながら蓮台寺地区では一番古い社だと地元の人は言う。 |
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△神明神社(中) 神明神社は神明神社なのだが、相殿の八王子は佐伎多麻比咩命の御子神八柱を祀ると思われる。八王子の一、弖良命を祀っていたという論もあり、式内:弖良命神社の論社としても名があがる(最有力論社は三宅島神澤神社)。 |
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○伊古奈比咩命神社(白濱神社) 式内:伊古奈比咩命神社。名神大社。「御釜」と称する洞窟の奥に本当の本社祠が鎮座していたらしい。 |
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○波布比咩命神社(下田) 大島の波布大后を祀る。往古はこのあたりまで海がせまっていたといい、船戸明神と呼ばれていた。 |
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○下田八幡神社(下田) 『南豆神祇誌』によれば、かつて下田湾に浮かぶ小島はそれぞれ三嶋大神の御子神に見立てられていたといい、これらを合祀したのが下田八幡だと言う。 |
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○浅間神社(本郷) 式内:意波與命神社(最有力論社)。しかし、意波與命は係累・詳細不明の神。神階帳には「いわよ姫の明神」とあり、姫神らしい。 |
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○三島神社(柿崎) 合祀された「武峰(むとう)神社」が式内:多祁富許都久和氣命神社の最有力論社となる。寝姿山南端にそびえる岩壁そのものの神格であると思われる。 |
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○両神社(須崎) 式内:佐伎多麻比咩命神社論社/式内:穂都佐氣命神社論社(共に最有力論社は別)。かつて社域に薬師堂(薬師は三嶋大明神の本地仏)があり、三島明神とされていたという。恵比寿島の焚火祭祀の主催社はここであったと思われる。 |
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○八幡神社(吉佐美) 式内:竹麻神社三座のうち阿波命を祀った論社として最有力論社。さらに相殿の若宮は多祁美加々命を祀ると伝わり、式内:多祁美加々命神社の論社でもある(本社は新島)。 |
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×八幡神社(田牛) 焚火祭祀遺構のある遠国島にあった祠はここに合祀されている。また、近くの「竜宮窟」から海に開口する先は、神津島を捉えている(下写真)。私は竹麻神社三座の阿波命は遠国島から田牛にかけてのどこかに祀られていたのじゃないかと考えている。 |
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賀茂郡南伊豆町
△七夕(棚機)神社(青市) 式内:大津徃命神社(妻良の方に伝わる三嶋大明神の后神)に比定する議論があったらしい。 |
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○若宮神社(青市) 阿波命の御子神、物忌奈命を祀る。式内論社としては名はあがらないが、竹麻神社三座にまつわる早くからの分祠だろう。 |
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○三島神社(青市) 竹麻神社三座の一(あるいは元社?)として名があがる(最有力論社は月間神社)。しかし、いかんせん離れすぎている嫌いはある。鯉名の大港奥からの遷座と見るのか。 |
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○月間神社(上写真・手石) ○若宮神社(下写真・湊) 式内:竹麻神社(最有力論社)。もっとも敷衍した論では月間神社に三島大明神(父神)・若宮神社に物忌奈命(御子神)が祀られているとされる。母神・后神の阿波命は先の下田市吉佐美の八幡神社に。 |
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○加畑賀茂神社(下賀茂) 式内:加毛神社二座の一座(最有力論社)。「伊予の三島神」がやって来たと伝える神社。こちらに三嶋大明神が祀られる。 |
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○三島神社(加納) 式内:加毛神社二座の一座(最有力論社)。こちらに溝樴姫命(記紀に見る西国三島神の后神)が祀られる。 |
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○諏訪神社(岩殿) 式内:伊波氐別命神社(最有力論社)。岩殿が伊波氐からの転訛だとされる。係累・詳細不明の神格だが、「若宮」と称してきており、三嶋御子神として祀られていたと思われる。 |
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○三島神社(下小野) 式内:阿米都加多比咩神社(最有力論社)。阿米都加多比咩命の係累・詳細は不明。しかし、青野の三嶋大明神の妹神を祀ってきたと伝える。 |
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○三島神社(青野) 式内:多祁伊志豆伎命神社論社(最有力論社は河津の見高神社)。なぜ論社とされたのかよく分からない。しかし、先の下小野の三島神社(阿米都加多比咩神社)は有力であり、その兄神と伝わったここも式内(と同時期)の古社である可能性は高い。 |
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○姫宮神社(一色) 式内:伊波比咩命神社(最有力論社)。式内:阿米都加多比咩神社の論社でもある。伊波比咩命は係累・詳細不明。古来子安神社であり、后神・母神の神格だとは思われる。 |
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○三島神社(蝶ヶ野) 式内:多祁伊志豆伎命神社論社(最有力論社は河津の見高神社)。ここもなぜ論社に名があがるのかよく分からない。 |
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○王子・八幡神社(大瀬) 式内:穂都佐氣命神社(最有力論社)。穂都佐氣命は伊古奈姫命の御子神。この神も本来島嶼に祀られていたと考えられるが、該当する社が見当らないのでこちらが最有力社とされる。実際は早い時期の分祠だろうと概ね考えられている。 |
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○石室神社(石廊崎) 式内:伊波例命神社(最有力論社)。係累・詳細は不明の神格。神階帳には「いはら姫(いわし姫)」とあり、姫神であったらしい。 |
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○三島神社(入間) 式内:穂都佐氣命神社論社(最有力論社は大瀬の王子神社)。なぜ論社とされたのかよく分からない。古社ではある。 |
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○三島神社(妻良) 式内:大津徃命神社(最有力論社)。三嶋大明神の后神と伝える。「めら」という海浜の地名に「妻良」の字をあてるのは珍しいが、この后神からとされる。溝樴姫命と同神とも言う。 |
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○八幡神社(子浦) 式内:伊波久良和氣命神社(伊東八幡野の来宮と並ぶ有力論社)。こちらでは大津徃命神社の御子神ということになる。后が鎮座するのが妻良で、御子神が鎮座するのが子浦というわけだ。 |
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○三島神社(伊浜) 式内論社として名はあがらないが、次郎王子を相殿として祀っている。次郎王子は大島の波布大后の第二子。ちなみに『三宅記』では大島波布大后が三嶋大明神の第一后である。 |
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○三島神社(蛇石) 特に式内論社などとしては名はあがらない。若宮を配祀しており、次の天神社と関係があるかもしれない。 |
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△天神社(伊浜) 土地の伝説「粟の長者」の長者が信仰したと伝わる社。今は菅原天神だが、『南豆神祇誌』にはここは阿波命の御子神・物忌奈命を祀る社であったとある。 こんなとこかな?なんか忘れてるかも。でもまぁ、こうして見ると「三島神社」と今名のっている以外にも、この範囲で四十社近くの三嶋関連社が軒を連ねていることになるのですな。 |
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追加:同範囲の古社で三嶋系と勘定しなかった社
補遺:
東〜南伊豆の三嶋関連神社 2012.06.09