大磯・左義長

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2011.01.15

一月十四日
明日一月十五日は神奈川県中郡大磯町の国指定重要無形民俗文化財の「左義長」。要はどんど焼きなのだけれど、今日は半日休みにしてまで(笑)、この前日の模様を見て来た。何となれば「どんど焼き」の部分は数日に渡るお祭のラストであり、その前でないと見ることのできないものが多いのだ。
この辺りのどんど焼きの特徴は「道祖神祭」である点だ。町内各地区の道祖神さんを祀る。もとは大磯七町の七つの道祖神を祀ったが、明治に人が増えもう一町増えて八道祖神の祭りになった。
大磯七町と言っても大磯町全体でなく「大磯町大磯」のことで、非常に限られたエリアの話である。地図の線を引いてある道沿い(旧七町の範囲)がそう。端から端でも500m。徒歩5分である。
ちなみに「左義長」という公式名称になっているが、これはこの地に住んでいた伊藤博文公の秘書だか誰だかが「これは左義長だ」と言ったからそうなったので、地元では「ドンド・トンド焼き・サイトバライ」等と言っていた(言っている)。
お祭期間になると「オカリヤ」という仮小屋が作られ、道祖神さんが道沿いに出てくる。写真の鳥居奥右に赤い屋根の小祠があるが、普段は道祖神さんはそこに鎮座している。祭り期間は手前左のオカリヤに出てくるのだ。
オカリヤの道祖神さんはこんな感じ。この辺りの道祖神さんは露天ではなく普段も小祠の中に祀られている。オカリヤは今は木造の専用の小屋だが、昔はお正月の松飾りそのものを集めて小屋を作っていたという。
オカリヤの飾り付けで一番伝統的だというのがこの緑・赤・黄の三色の御幣。書初めも兼ねている。明日はこれも一緒に燃やすが、その際高く舞い上がるほど字が上手くなるという。
そして「オンベダケ」という竹飾りが立てられる。これも道祖神さん毎にかつては七本、今は八本立っている。このオンベダケが明日の火祭りの「サイト」の中心となるのだ。
この辺り、オンベダケは明日になると朝から海岸に立てられるサイトの方に移されてしまうし、同時にオカリヤもしまわれてしまうので、見たかったら前日までに見とかないとイカンのですな。
オンベダケに弓の飾りがある。これは天空の「悪魔」を射る魔除けだという。年末に見られる悪魔祓いの習俗が入っているのだ。
各地の悪魔祓いは子どもの祭りだが、大磯の左義長も子どもの祭りだ(どんど焼きは基本そうだが)。道祖神さんの祭祀権は子どもにあるのだ。
このオカリヤ内部を良く見ると奥に小さな部屋があるが、昔は子どもらがかわりばんこにここに籠ってオカリヤとそこに納められる正月飾りの「番」をしたのだ。
最終日の「サイト」はこの納められる正月飾りの量で大きさが決まり、無論大きい方が誇らしいのであって「隣り地区に〝かっぱらわれないように〟」番をしたのだそうな。
その地区の境は「ミチキリ」という飾りで区切られる。渡した縄の中央の大根に御幣を挿したものがミチキリ。
この写真のミチキリがもっとも「正統」なものだそうで、立方体に切った大根に賽の目を入れるのが本当だそうな。「境(賽)」ということですな。
「大磯左義長」と一口に言っても、実はこの狭い町内の地区毎でディティールは結構違うのだ。例えば写真の道祖神さんは上にお豆腐が供えられているが、豆腐を供える地区は8地区中2地区である。
隣りの地区のおとっつあん達と話している時に、この豆腐の話をしたら「そんなことしてるのか」と驚かれた。いや、すぐそこじゃん、と思うのだが、当事者達にとってはもう「隣りとうちとは違う」のだ。この辺大変重要なことである。
こちらでも豆腐は重要なアイテムなのだが、「祭の宴の肴」という位置づけで「供えるもの」という発想はないのだ。ほんの数十メートルしか離れていないのだが、違う。
写真のオカリヤの上にある飾りも「サンダワラ」などと言うが、実際飾っているのはここくらい。隣りの地区の人にその話を聞くと「あれは……俵なんだろうなぁ?」と首を傾げる始末である。
夕方になると地域の人がそれぞれのオカリヤにお参りを始めていた。全てのオカリヤをまわることを「七所(ナナトコ)詣り」という(今は八ヵ所)。「もうみんなまわって来たかね」「あとははしっこだけだぁ」とかあちこちで声があがっていた。
そんな感じで。いずれ全体の詳細はまとめますが、こんなふうに「前日までの見所」もあるのが大磯左義長ですよ、ということでした。
一月十五日
祭りじゃ祭りじゃ、火祭りじゃあー!うははははー!というわけで神奈川県中郡大磯町の左義長でございます。帰って来て今に至るも鼻の中が焦げ臭い(笑)。
さて、これはまだ午前中。早朝から「サイト」の準備がされまして、午前中には出来上がってしまいます。昨日の「オンベダケ」を中心に松を重ねまして周囲を藁で巻いたのが「サイト」ですな。
八地区九基のサイトが大磯の浜に並ぶのです。「イヤー、お正月飾りも減っちゃってなぁ。俺が子どもの頃は……俺が小さかったからかもだけど……もっとサイトがばかでかく見えたがなぁ」とは準備されてたおっちゃんの弁。
道祖神さんも昨日の「オカリヤ」から出されて浜に移される。ちょうどその地区のサイトを見守るような位置に据えられますな。
サイトにはお正月飾りとダルマが。この地区は注連縄ダルマ無双(笑)。
サイトに並ぶものも地区によって傾向が異なる。神棚が並ぶのはここだけ。一年毎に神棚を新調する風習があるのだろう。
こうして基本的なサイトの設営が終ると皆さん一旦帰られて、浜は閑散としますな。
町内に戻ってきまして、ここ大北地区は他地区と異なりそもそも氏神さんが「道祖神社(古くは賽神社)」なので、氏神のお祭も行われる(例祭はまた別)。神主さんが来て、みなさん榊を供えております。
ちなみに先の写真で神主さんの右手に藁状のものと綱が見えますが、これが全体像。「ヤンナゴッコ」という神事で使う「木ゾリ」と仮宮。この両端の綱を浜と海中で綱引きするのだ。一月の夜に褌一丁で海に入るのである。
そして綱引きが終わると(浜側が必ず勝つ)、この上の仮宮はふんづけられて壊されるのだ(この仮宮自体今日作る)。ちなみに「ヤンナゴッコ」とはどういう意味かと聞かれても誰も知らない。
ところで町内の道祖神さんが本来おるところ周辺は今日はもうすっかり片付いてしまっております。下段が昨日の状態。こんななのでオカリヤとか見たい場合は前日までに。
といったところであとは日暮れを待つばかり。町内のおとっつあん達はもうあちこちで振舞酒モード。「アニキ!酒はどうよっ!」とかあちこちで振る舞われてあたくしも結構呑んでます(笑)。
さて日が暮れまして。このお祭は部外者へのサービスモードは殆どないので浜辺も灯りは無いですな。行かれる場合はそのおつもりで。道祖神さんとかにけつまづかないように。
そしてサイトに点火。東の方から少しずつ間を置いて火が着いていく感じ。もうあっという間に燃え上がりますな。ちょっと想像以上に燃えてビビった(笑)。
いやもうすげえ火になります。化繊とか余裕で火の粉で穴あきますので、着ていくものにはご注意を。
この辺が最高潮。この後オンベダケが倒されまして、火の手が弱まってからお団子を焼きはじめるのです。良く分かってない部外者がうろちょろしてますとオンベ倒す邪魔になりますので注意。
同時に水際では「ヤンナゴッコ」の綱引きが行われておりますが、もうすげえ人だかりで撮れません。家のお父ちゃんやお兄ちゃんが褌一丁で海に入っておるのでまわりは家族の方でいっぱい。写真は引き上げられたあと火にあてられているところ。
そんな感じで火の手が弱まってきますと皆さんお団子をあぶりはじめます。ヤンナゴッコの木ゾリはこの後海に入った男衆を乗せて町内まで引かれて行きますな。昔は女装した若衆を乗せたそうな。こうして左義長は幕を閉じるのでした。
といった具合で昨日から都合14時間くらい貼り付きでの大磯左義長道祖神祭でありました。これで大体の流れは体で覚えた感じ。いや、足イテエ(笑)。ま、今年は「練習・下見」ですんでこの経験を糧に来年度にガッツリ取材致しましょう。

大磯・左義長 2011.01.15

惰竜抄: