足上行(松田・山北)

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2010.12.23

昨年(2010年)十一・十二月の足上行。足上とは足柄上郡のことですな。このページではその内松田町と山北町を回ったものを。

2010年11月14日


午後からは神奈川県松田町の丹沢の奥地、「寄(やどろぎ)」の地へ。いや、ここどういうタイミングで行こうかと思っていたのだけれど「半日」という時間と、「弥勒」が盛り上がっている今こそがふさわしい!という訳で。

寄の鎮守「寄神社」は近隣七村の神社が合祀されて寄神社になった。それ以前は「弥勒神社」だったのだ。行ってみるとついこの間西相模初として秦野西田原八幡で見たばかりだった「割拝殿」が。ここで二例目になりますな。
「弥勒神社」はそれ以前は「弥勒堂・弥勒寺」で、と言っても純粋なお寺かというとそうでもなく神仏習合の「ミロクさん」であったのだ。ものすごい山奥なのだが、頼朝夫人政子の安産祈願の行なわれた所として『吾妻鏡』にも名のある古社である。
さらに、この土地でお祭りのとき神輿を担ぐ神人の着る装束は「ハクチョウ」と呼ばれるのだが、室町時代の「水干」より古い、平安貴族の狩衣の一種「白丁」の事ではないかと考えられている。とするとここは平安時代からの古社ということになる。
しかしまー、お堂の後ろに神社本殿という珍妙な建築だ。これは一見の価値大だ。神仏習合を絵に描いて額に入れた様な所である。

少し下って来まして、なんと丹沢の奥地に「高根神社」があることを発見した。ここも寄神社に合祀されたはずなのだけれど、再度祀ったらしい。合祀の後「何か」あると「祟り」であるとして再建されることがままある。
それにしてもこの寄の土地は大変興味深い。道祖神さんもこんな風に自然石のものがゴロゴロしている。川にある珍しい石を拾って来て祀るということのようだ。ここは丹沢の狩猟民の民俗を探る絶好の土地かもしれない。何度か来ないとダメそうだ。
高根神社のお隣。今は石仏だが、かつては道祖神さんだったそうな。ていうか今でも「サイノカミさん」と言っていた。この様な覆い屋は丹沢周辺の道祖神さんの古い特色だ。昔は一年毎に焼いて立て直した。
ところで寄神社の少し奥の字名を「宇津茂(うづも)」という。あたしゃぶったまげたね(笑)。つい先日言っていた「獣道のウジ」のことではないのか。ウジは西日本とあったが、寄の宇津茂は東日本での例になるかもしれない。ちょっとまわりで聞いてみたところでは由来はまったく分からなかったが。

そんなこんなで何度も通わねばというフィールドワーク候補地「寄」というテーマを得まして、下って来まして松田神山(こうやま)。ここに小田原の神山神社の元宮であるという「神山神社」がある。

実はあたしはこの神社は「倒壊寸前」なのではないかと勝手に思っていた。『神奈川県神社誌』の古い白黒写真ではそう見えるのだ。んが、行ってみると結構しっかりした御社殿だった。
古い白黒写真(特に露出オーバーなもの)は要注意だ(笑)。あ、下の写真は加工した「イメージ(笑)」です。もとは同じ写真でも倒壊寸前に見えるでしょ?
ここも「茶堂」状の社殿だったのだけれど、小田原久野の子ノ神社と被る。子ノ神社が神山神社の中間の元宮だったのでは(松田神山→小田原久野子ノ神社→小田原久野神山)と言っているのは銀河系であたしだけだろうが、ほぼ確信した。
……銀河系であたしだけというのはつまりマニアック過ぎて他に考えてる人間がいないということですな(笑)。
神山神社の向いに「阿弥陀堂」があった。あー、要するにこういうことか、と「茶堂状神社」の相模での元ネタが分かった気がする。
その阿弥陀堂の境内。手前から金神・猿田彦神・双体道祖神、そして棕櫚の木。棕櫚の木が植物版のサエノカミではないかと言っているのもあたしくらいのもんだろうが、これは象徴的な配置である。

2010年12月23日



本日はまたしても午後から様モードだったので西相模篇。空白地帯と化していた神奈川県足柄上郡山北町へ。
もう何回か参拝しているのだけれど松田で乗り継ぎの時間があったので(この理由でついつい行ってしまう…笑)式内:寒田神社へ。松田の駅からは徒歩10分くらいなのだ。しかしまあ何たる上天気よ。
寒田神社には独特な風貌の狛犬さんがおるが、これがこの日後で関係してくる。この写真撮ってる時には知る由もなかったのだけれど。
そして山北町へ。箱根と丹沢の境で西へ抜けて行く土地(要は東名高速)。その切れ間から富士山がよく見える。何気に西相模は箱根があって富士山はてっぺんしか見えないところも多い。山北は西相模で一番富士山がよく見えるところじゃないか。

山北総鎮守格の室生神社。合祀系で全国展開する神社のいない神がいないのじゃないかというくらいだが、メインは菅原天神(元天神だった)と「矢倉明神」。矢倉明神は今は祭神の列に名を見ないが、西との境、矢倉岳の神格である。
頼朝時代からの流鏑馬が神事として伝わり、神馬さんの像もある。しかし「矢」に関するあれこれが気になる。「足柄」の地名の由来とも関係してくるだろうか。神木・古代船などに連なる話なのだけれど……それはもうちょっと考えてから。

南下しまして「八幡神社」。この辺りは河村氏という豪族が古代から強勢だったが、その河村城にもとはあったという。河村氏総守護の神社ということですな。
ここの覆殿には四神の像が。ちょっとポケモンチックな短躯でかわいい。これは白虎。
そしてこの八幡さんの鳥居脇で超上から目線モードのこの狛犬さん。あら、あなたは……
これが先の寒田神社で言っていた狛犬さん繋がりですな。同種族(?)です。そういえば寒田さんの宮司家はあまり古くなく、山北の方から来られたのだと聞いたが、なんか関係あるのかしらね。
そして反対の吽像の下にいるチビ共がまた……。これは良いねぇ。今まで見て来た子狛でも最高ランクに勝手にランクイン!ですだよ。
ここの鳥居脇の御神木の楠もまたすばらしい枝振り。根もとから細い幹が分かれているのだけれど、関東大震災の際に裂けた部分が育ったのだそうな。すげえ生命力ですな。
ザ・山北。何とも良い日和でございました。冬至(昨日)どころか小春日和みたいだったな。

住宅街にぽつんと「秋葉神社」。単立で由来などは良く分からない。

そして本日第一目標の「天社神社」へ。光の加減で不思議な色合いに。ていうかもう夕方モードかよ(三時)。
敢えてこのめちゃ逆光写真を。三時に逆光って、この神社は一体どこ向いているのか。実に東北方を向いているのだ。なんだというのか。
これまでにも再三触れて来た秦野を中心に西相模にひろがる謎の石神「天社神」なのだが、あれこれ言われる説に逆らってあたしはこれは「第六天」ではないかと思ってきた。そしてここが第六天を祀っていた「天社神社」なのである。
この「天社神社」の第六天とはもとは(山北では)山のことである。少し北に行った丹沢への登山口の方にはこんな標識もある。第六天・大六天の両方の表記があったが。しかし結構近いな。いや、今日は登んないけどね(笑)。
そんな丹沢への入口にあった祠。山神社さんかとも思ったが、赤塗りが強調されているのが気になったので、付近の方にたずねたところ「ナンだったかなぁ。あー、ほら、二月にアブラゲとかやるから…稲荷さんだ」とのこと。初午のことですな。
とはいえ山に入る前に安全祈願したところであることは間違いないだろう。祠の横の石仏さんもそう言っている(?)。

のどかさ全開の山間の農村風景「諏訪神社」。鳥居は横向いているが、神社は「こちら」を向いている。畑作業を見守る明神さんということだ。

そんな感じで早くも日が暮れてきてまして、最後の「御嶽神社」。単立神社で詳細不明だけれど日本武尊かなぁ。ちなみに脇の高架は東名高速道路。東西交通の要所に日本武尊というのは、ま、合っている、のか。

ラストに道祖神さん二枚。山北では道祖神さんは「現役」で辻々に祀られている。どんど焼きのお祭りも神社のお祭りより賑やかに行われる土地だ。

足上行 2010.12.23

惰竜抄:

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