足下行

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2010.11.20

昨年(2010年)六・十一月の足下行。足下とは足柄下郡のことですな。六月に箱根湯本周辺、十一月に湯河原・真鶴町周辺を回っております。

2010年6月20日



本日は箱根湯本へ。温泉観光総スルーで神社めぐり。お金を落とさない嫌な客(笑)。まずは湯本駅すぐの「熊野神社」。「熊野」は「ゆや」と読めるんだそうな。それで「ゆや権現」と読んで、熊野権現を温泉地の守護神とするのだそうな。
熊野さんときたら八咫烏。
ぬおっ!カワセミ発見。はあー。何年ぶりに見ただろう。翡翠と書く鳥。実に美しい……んが、あたしのカメラではこれが限界(TT)。

こちらは「玉簾神社」。「たまだれじんじゃ」と読む。箱根神社九頭龍神社の分宮なのだ。すぐ脇に玉簾の滝という滝があって、それを祀っている。
でかいホテルの敷地内なので微妙に手が入りすぎているが、それでも抜群の雰囲気を持つ。ホテルの仕切りで夕方5時までしかここ登れないので注意。

「山神神社」は「さんじんじんじゃ」と読む。箱根湯本は温泉だけでなく湧水が豊富で、小さな神社もみな手水を完備している。ていうかナマケロリンですよ、旦那。さすが温泉街?
結構うっそうとしているのだ。ていうかほんとに小さな神社で案内もないので地図チェックをしっかりしていないと見つけるのが難しい。あ、そういえばなぜか恵比寿さんの欄間の木像だったな。なぜだ。
そして発見、潜み鳥居。うはははは!こんなとこに神社庁管轄の神社はなかった。突撃。
う、ていうか結構参道が続きまくるんですけど。ぬこを探せ。
いやいやいや、これ合ってんのかよ。実は今残ってるのはさっきの鳥居だけとかいうパタンじゃなかろうね。
さらーに!高速またぐし。いや、向こうに確かに神社見えてるけど、この橋梁は神社のためだけに存在するのか?(そうでした)

そしてこれが石垣神社。うおー、引き返さないで良かった。もうこの神社だけで湯本来た甲斐があると納得できる雰囲気だ。
しかも、この石垣神社は祭神が「太郎坊・次郎坊」なのだ。「元は」じゃなくて現行そう。これは天狗である。神仏分離を潜り抜けて生き延びた中近世の「山ノ神」本来の姿だろう。実に良い発見だった。

最後は駅近くに戻ってきまして「白山神社」。構えからしてここが湯本全体の鎮守なのかしらね。
白山神社は菊理媛を祀るゆえに女千木なのだ。ここは扉部は覆われているけど、一部本殿が見える。
白山神社境内稲荷のお狐さん。なんか今日あちこちでこの青いおはじき(?)がお供えされてるのを見た。誰か一人がそうしただけなのか、なんかこういうものをお供えする風習でもあるのか。
うーむ。時間的には塔の沢の熊野さんにも行けなくはなかったな。石垣神社発見で超満足状態で帰ってきてしまった。でも写真的には結構光量ぎりぎりだったし、こんなもんか。

2010年11月20日



まあ、年末やもの。ということで午後からモードでどうしましょうという感じなんですが、とりあえず真鶴へ。ま、メジャーな神さま達はお留守だし。留守神さんを。
真鶴駅からが近いのだけれど住所的には湯河原町になる福浦の「子之神社」。ダイコク・エビスが留守神さんというのは割と鉄板。
ここの狛犬さんはすごい。いつも凄い凄いと言っているが(笑)。いや、本当に見物である。江戸狛。背中に子犬。こっちが父ちゃんらしい。
こちらが母狛。ちょっとこのボリューム感のある狛犬さんはそうはないですよ。「子授け子育ての狛犬」なんだそうな。子之神社は「子守・子安神社」に近接する時があるが、ここはその色合いが強い。
まーだがしかしここの神社の縁起がニャー。迂闊なことが言えん。ぶっちゃけ南朝直系だと言っている。そんなことを言われても…という感じである。
おそらく先代宮司さんくらいの時代の『足柄下郡神社誌』には普通に「子之神社:祭神・大己貴命」とだけ。天暦七年の伝はあったのでその話は昔からあるのだろう。その他古記録を見ると真鶴・貴船神社との縁故の神社の様な感じである。
はてさてと頭をひねりながら港の方へ。ダイコクと来たらエビス……ってか石破センセこんなとこでナニしてはるの(笑)。
福浦から湯河原市街を望む。とんがってるのが麓に伊豆山神社本宮のある岩戸山。真鶴・湯河原にとってもこの山は重要なシンボルだっただろう。
ワレ、チュウオウヲセンキョセリ…にゃあ

そして本日のメインテーマである「道祖神さん」訪問。ここは湯河原の吉浜という海岸沿いにある「素鵞神社」さんの鳥居の脇ですな。なるほどこれは伊豆型道祖神に違いない。
真鶴・湯河原の道祖神が伊豆伊東を中心とする単座のものの流れであることを確認するのが今日の目的。しかし…これは…。ボロけちゃったのか、形の似てる自然石を祀ったのか判断に苦しみますな。

一見お地蔵さんのようだが、明確に分けられているのだ。写真は近くの地蔵堂の境内。上がお地蔵さん(座像)。下が道祖神さん。同じ境内だけれど分けて祀られている。
そういえばちょっと前に「天王稲荷」が真鶴福浦にあると資料で見つけたのだけど実物はワカンねーなー(ものすごく入り組んでいる)、と思いつつ吉浜から戻ってきますと、向かいの丘下に鳥居発見。あれは地図にもねえですよ。

オリャーッと行ってみますと「天王社」とある。で、お狐さんが。間違いねえ、これが「天王稲荷」だ。ま、ここも住所的には湯河原町なんだけどね。
ケッケッケ。相模のコワッパが見つけおったは。ケッケッケ。という感じのお狐さん。
この天王稲荷も小田原の方に同じく「海を向かない」造りになっている。ま、真鶴半島の海岸線は入り組んでるので「背にしている」とまでは言いがたいが。
境内社があったのだけれど、多分龍神社か龍宮神社だろう。大体真鶴近辺の神社は脇にこうやってその辺を従えている。で、この境内社のお賽銭箱の上に……
カメだっ!これはどう見てもカメさんですよ。お賽銭箱の上…ゼニウミガメ(新種)?
さて、そのまま真鶴半島の東側へ行きまして、真鶴の道祖神さん。「賽ノ神」とありますな。もしくは「寒ノ神」とも真鶴では書く。結構町が力入れてまして、豪勢に祀られており、駅のエリアマップ等にも「○○の道祖神」と書き込まれているのだ。
ここは「西の道祖神」。もう、伊豆型であるのは間違いないっすね。ちょっと高まった所にあるのだけれど、写真を撮っていたらハイキングの団体さんが下をスルーして行った。あまり見所としては認知されていないようだ。
結構荒っぽい扱いが真鶴でもあったようですな。もう下だけになっておる道祖神さん。どんど焼きの祭りへの寄附を渋る家に子供等が道祖神さんを担いで行って投げ込んだりしたのだ。これやられると家運が傾くと大変恐れられていた。
そんな真鶴行でやんした。どうもこの伊豆型道祖神さんは小田原の米神辺りまであるらしい。早川にはない。やはりずっと磯の地は繋がっていたのだろう。

足下行 2010.11.20

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