伊東行

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2010.08.28


この日は伊東へ。ここは以前も参拝した火牟須比神社だけれど、あれこれ資料を見ると結構あるはずの境内社がその時は稲荷しか見つからなかった。これがなんと社叢の中に。写真は境内社をまとめたお社の脇にぽつんと立っている山神社さん。
もはや原形をとどめていない道祖神さん。なんか、分かった。「道祖神」の形が失われる=自然石に戻る、が「あがり(成就)」なんじゃないのか、これは。

本日は海側でなく山際沿いを行ってまして、ここは一碧湖の西の荻というところの「山神社」。よもやこんなに立派なお社と思ってなくて驚いた。祭神・大山祇命に「おおやまぐいのみこと」と振ってあった。
「おおやまぐい」なら大山咋神じゃないの?という感じだが、石鳥居に「三社宮」とあったので、あれこれ習合しているうちに混交しちゃったのかもしれない(んなアホな)。

一碧湖に向いまして、「一碧湖神社」。祭神が「天八大龍王大神・天五色辨財天大神・御守護水神・八岐龍王大神」とすさまじい。ゲームキャラみたいだな(笑)。
ていうかこっちが「本物」か?岩室みたいになっている。江戸時代の伝説等もあるところなので、元はもうちょっと普通に龍王祠とか弁天祠だったと思うのだけれど。
一碧湖。いやまあ今日はすさまじい晴れ具合でしたな。今酔っぱらいみたいな顔になっとるあたし(笑)。いや、焼けたのです。まだ呑んでないのです。
一碧湖から「十足(とおたり)」というところへ出まして、伊豆に入って初めてまともな田畑を見た。しかももう田んぼが黄金色だ。

そのすぐ近くにある「引手力男神社」。式内論社である。伊豆は三嶋さんがらみのユニークな神さまが多い中でここはスタンダードだ。元地の山は小角が修行したという伝説を持つ。手力男命は修験と縁が深い。
妙な存在感のある引手力男神社の狛犬。伊東のユニーク狛はまだつづく。
そういえばここの手水の工夫が面白かった。こんな竹の竜ははじめて見た。水が出てたら良かったのになぁ。
そしてドドッと南下致しますと「大室山」。んが、なんと徒歩による登山が禁止と来やがった。リフトを使えと。うーむ山頂に浅間神社があるのだが。
リフトの反対あたりにある浅間神社登り口の鳥居。しかしやはり「入山禁止」の看板が。なんでやねん。ここから登らないと意味ない気がしたので、今回はパスです。はい。

更に山間を「池」という土地へ進みまして、「水神社」。これまでの海辺の伊豆には無かった「農の神社」が。ちゃんと伊豆も奥に入ると農業やってたのね(当たり前だ)。
どうも池の「郷土史研究会」が熱心らしくて、下写真のように、小祠やら道祖神やらにまで、ひとつひとつ解説の看板がついているのだ。

「水神社」のそばには「山神社」が。ここの境内社がびっくり。相模の大山阿夫利神社なのだ(一番手前)。昔は農業の神さまとして池村の代表が毎年相模大山へ詣でていたとある。伊東からの海路はものすごく日常的なものだったんでしょうな。
ここの狛犬。どうにも柵に密着しているのが……裕次郎か、おまいは。
山神社をばーんと。荻もそうだったが、農地は「山神社」が立派になるらしい。
ここが「水神社」と「山神社」に護られた池の農地。鳥除けの空砲の音が鳴り響く。
そんなこんなの山間編でした。山を下るとまた海だぜ。ちなみにポッコリ浮いてるような三角の島が利島。この辺は大島・利島・新島・神津島が並んで間近に見える。三嶋神ファミリーのイメージが良く分かった。
さて、その後は「八幡宮來宮神社」と赤沢の「三島神社」(共に式内論社)へ向ったのだけれど、八幡宮來宮神社がすさまじすぎるところだったので明日へ続くの巻。
まったくニブちんのあたしでも、境内に踏み入った途端に「こりゃ最強状態だ」と辺りをうかがったほどの雰囲気。ぐ、しかしこの来宮八幡さんのおかげで己の写真技術の不足を思い知らされるという…(TT)。
続き。八幡宮來宮神社へ行く道すがらの道祖神さん。「あら、やだ」みたいな。伊豆ではとんと見かけなかった椀状穿痕らしきものが。

そして「八幡宮來宮神社」へ。鳥居をくぐると冠木門(かぶきもん)が。お寺のようだ。
この神社の尋常でないさまは入ってすぐの社務所で明らか。ナンじゃこのカッコ良い社務所は。
やはりお寺の奥の院のようなたたずまいの境内。本当に入って良いものかと、妙に緊張するのだ。
参道脇の境内社群。手前二社はお稲荷さん。奥が大山祇神社。で……
更に別途三嶋神社を祀っている。やはり伊豆では三嶋神社=大山祇命というわけではないようだ。
更に堂々たる境内社の一群。ここの「八幡宮」は一国一社の八幡さんだったそうで、伊豆の八幡のなかでも格別なところなのだ。
本殿域入口の境内社。ここだけ神社名がなかった。資料から引き算していくと「大神宮(祭神不詳)」ということになる。しかし境内社でありながら並の神社より存在感があるのだ。
ようやく本社殿。三重の狛犬達が控える。拝殿向って左の杉の大木に注目。写真でもその異様なスケールが分かる。
ところで昨日最後にあげた狛犬は本社殿に一番近いものなのだけれど、相棒が居ない。どうしちゃったのかしらね。
これは別組の狛犬。小振りながらなんとも迫力のある造形である。
そんな八幡宮來宮神社。戻ってきて鳥居の脇にも末社が?と思ったら神輿殿だった。神輿殿も立派に神社扱いなのだ。
この八幡宮來宮神社は名の通り「八幡」と「来宮」が合祀しているのだけれど、式内論社としては「来宮」のほうが伊波久良和気命を祀るということで論社の対象となっている。鳥居脇にあった由緒書きによると……
「来宮神社は伊波久良和気命を祀り、古来、来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の神社である。もとは海岸の堂の窟に祀られていたが、後に八幡宮神社に奉遷され、明治九年郷社に列せられた。」だそうな。「堂の窟」は『神社志』では「岩倉」となっていたが。
まさに「現世に帰還」という感じで出てきまして、お次ラスト予定の赤沢方面へ。赤沢の海際からは伊豆諸島が望める。左から利島・新島・神津島(船の上の方)。伊豆三嶋神ファミリーである。

赤沢の三島神社。一応式内論社となるのだろうか。加理波夜須多祁比波預命神社の祭神を熯速日命とすると「赤」の地名である赤沢が妥当だ、とは伴信友の説。『式内社調査報告』では「赤沢の伊豆権現」となっているが、そうだったのか?
それはともかく狛犬。鳥居の後で地面の高さに置かれている。こりゃちょっと珍しいのじゃないか。しかし何とも愛嬌のあるお顔である。
神社脇の道祖神と庚申塔。しかも宝剣付き。こんな無造作に置かれている宝剣がいたずらされないというのも凄いね。すっかりお地蔵化しているものの、道祖神は海を見守る姫神である。
はい〜。これで当初頭の痛かった伊東市南部のばらけた神社群もなんとかなったかな。あとは大体伊豆急沿いだし。これ南伊東駅から赤沢まで歩いてんですよ、あたし。アホですよね(笑)。

補遺:

伊東行 2010.08.28

惰竜抄:

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