大蛇と大ムカデ(古典)

『今昔物語集』巻第二十六第九

加賀国の蛇と蜈蚣と諍う島に行く人蛇を助けて島に住むこと

加賀の七人の漁師がその日海に出ると、大変な風が吹き潮に流され見知らぬ島に漂着した。すると二十歳ばかりの美しい男が近寄ってきて、自分が風を起こし漁師たちを引寄せたのだという。そしてご馳走を並べてもてなした後、相談を持ちかけてきた。

さらなる沖にまた島があり、そこのヌシが攻めて来るので明日戦うのだという。これに合力してほしいというのが頼みだった。漁師たちが相手の戦力を訊くと、敵も自分も実は人ではない、明日になればそれは分るだろう、と男はいった。

翌日、皆で弓など用意して整えていると、攻めて来たのは大ムカデであった。そして、迎え撃つのも若者ではなく大蛇であった。大ムカデと大蛇は噛み合い打ち合いの死闘を演じたが、大蛇の方が劣勢になった。そこで手はずどおり、漁師たちがさんざん弓で射掛け、大ムカデを斬り殺した。

若者に戻った大蛇は漁師たちに感謝し、島に住むように勧めた。妻子を連れてくるにも良い風で送り迎えしましょう、加賀の熊田宮がこの島からの分社なので、そこに祈願すればすぐここへ来ることができましょう、ともいった。

『今昔物語集』巻第二十六第九より要約


これが俵藤太や小野猿丸に先駆けての大蛇と大ムカデの戦いに人が合力する話。猫の島は今の舳倉島のこととされる。「まんが日本昔ばなし」にも「大じゃと大むかで」として収録されている。細部に違いはあるが、大体同じ話だ。人が住む地を得る、という点に注目するならば、伯耆大山の麓に語られる次の話は近いといえるかもしれない。

大原千町の大蛇の恩
鳥取県西伯郡伯耆町岸本:大ムカデの暴威に苦しむ人々と大蛇が、訪れた大躰神に助力を乞う。

熊田宮というのは式内社としても記録され、現在の能美市吉原町の熊田神社がそうであると伝える。もっとも今に至るまでに稲倉魂神を祀る社、という以外はよく分からなくなっているようだが。

漁師がまた七人だったり、能登半島側とのつながりがあらかじめあったり、またさらには舳倉島には別の竜女伝説もあったりするのだが、ここは「大蛇と大ムカデ」関係の話から引けるように、ということで、紹介だけで。