福蛇

北朝鮮:平安北道煕川郡邑内面

およそ百五十年前、平安北道煕川郡邑内面加羅之洞の生まれの梁允済という男がいた。その家は門閥をもって知られていたが、允済はひどく貧窮な暮らしをしていた。そこに凶荒にみまわれた允済は、いたしかたなく隣村の座首の家に行って米でも粟でも貸してくれないかと頼んだ。座首は快く、貸すの借りるのということはない、といい、允済に庭に積んである稗を一背負い与えてくれた。

允済は大変感謝して帰ったが、その途中、背中の稗の束の中から何やら音がするのに気がつき、下して見たところ、一匹の蛇が入り込んでいた。これは福蛇に違いないと喜んだ允済は、元の通りに包んで蛇も持ち帰り、家に居所を作ると、月々吉日を定めてお祭りをした。そうするうちに允済は富み栄え、一郡の第一の長者になった。しかし、蛇を失った座首の家はいつの間にか衰えて、貧しくなってしまったという。

また、允済が天寿を全うした時、元気をなくした蛇が家の周りを回っていたという。子どもたちは、主人を失った蛇に、兄弟姉妹のうちでお前と気の合ったところへ好きに行け、といい、蛇は雲山郡に嫁いだ第三女の家に移った。その三女の家ではまた大層喜んで、前と同じように場所を定めてお祭りをしたので、だんだん栄え、今もその子孫は雲山郡の巨富となっている。

崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より要約


無論「今も」という「今」は二十世紀初頭のころのこと。その後北朝鮮となって今に至るこの辺りにも、当たり前だけれどこういった長者がいてその由来が語られていたわけだ。

一方で、蛇の残したアイテムを大事にすることにより長者となる、という話が「長者と竜蛇」の関係には見えるが、福蛇の方は蛇そのものが屋敷に「ついて」富をもたらしているわけであり、比較検討する必要があるだろう。

蛇の冠
北朝鮮:咸鏡北道:小さな蛇の落した冠を家宝としたところ、その家は富み栄え、近隣に並ぶもののない長者となった。

ともかく、こちら福蛇の話は、どうみても越後の山村が舞台のといってもそのまま通りそうな内容だろう。しかも、どうも韓国朝鮮にはこういった蛇の神を屋敷内に祀る際、藁積を巣のようにして祀る風もあったようだ。もうまったく「へんびにう(蛇にう)」である。今のところ、韓国朝鮮の竜蛇譚を眺めまわして見るに、多分この「屋敷蛇」というところが日本と一番感覚の差のないところじゃないかと思っている。それがこうしてすぐそこの済州島から北の方まであるわけで、より多くの事例に当たることができるとしたら、重要な物差しになるのに違いない。