蛟龍になった鐘

北朝鮮:平安南道平壌府薜岩里

高句麗の広開土王の時代、平壌付近のある寺に、大きな鐘があった。その鐘はまるで蛟龍の格好をしていた。ある日の夕方、その鐘が自ら動きだし、寺の前にある潭に転がり沈んでしまった。僧はとてもびっくりして、ただちに人夫を雇い入れ、水の中に沈んだ鐘を引き揚げた。すると、その鐘は本当の蛟龍になって、目を怒らせてにらみつけるので、人夫たちは皆恐れをなして逃げ去ってしまった。

そして、鐘は再び潭の中に沈んでしまった。今も水の底から音を出すといい、その音がでるときには山と谷がふるえるという。

崔常寿採集一九三七年八月
朴佐益 平安南道平壌府薜岩里

崔仁鶴(チェ・インハク)『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より原文


竜蛇が鐘を好いたり嫌ったりするのはなぜかというのもいろいろな根がありそうなのだけれど、中にはやはり鐘そのものが竜体であるということなんじゃないかとにおわせるものがある。が、鐘の頭の龍頭とかけてそういうというのはあるが、全体がそうだという話は本邦ではいまだ見ない。

これが朝鮮半島にはそういう話があるのだ。あちらにもいわゆる「沈鐘伝説」がたくさんあるのだが(そもそも本邦の沈鐘も朝鮮半島から運ばれた揚句沈むものが少なくない)、このようにその鐘自体が蛟龍の姿をしていた、というものがある。

平壌付近というから今だと北朝鮮の伝説ということになる。そこにこういう鐘があったというわけだ。ダイレクトに鐘自体が蛟龍の姿だ、と言っていると見てよいだろう。しかし、そうなると「どこが」ということになる。鐘は鐘だろうから恰好は我々の知るそれと大差ないはずだ。

龍頭も同じとして、そうなると鐘の胴部分をとぐろを巻いた竜蛇と見る感覚があった、ということだろうか。そもそもあの宇賀神像と鐘のシルエットには近しいものがあると思っているのだが、実際そういう感覚があったのかもしれない。