広積寺のくも

北朝鮮:咸鏡北道城津

咸鏡北道城津から西北側に二里程行ったところに、今はもうないが、昔は広積寺という寺があったという。この広積寺に一匹の大きなくもが住んでいた。寺の主持がそのくもを養っていたのである。くもはしだいに成長すると美しい娘に変身した。

ところが娘はいつの間にか妊娠をして腹がふくらんでいるので、主持僧がそのわけを問うと、「実は名も住まいも知らない素敵な男が毎晩、自分の寝室にやって来て一緒になったのが妊娠の理由」だと、娘は隠さず自白した。主持はその男の正体をつかむため、娘に糸と針を与えて男の袖にさし込むようにいった。

翌る日の朝、糸を追って行ってみると、山の奥にある池に住む龍であった。娘は間もなく男の子を生んだ。その子は生まれながらにして才能が秀れていた。十歳になったとき、その子は清国に渡って行き、ついにその国の天子になったという。

崔常寿採集 一九三六年八月
李寅柱 咸鏡北道城津

崔仁鶴(チェ・インハク)『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より原文


清に渡って天子となったといっているが、これ実は明の太祖・朱元璋の誕生がこうであった、という伝説である。朱元璋は中国の安徽省の出身だから、何故咸鏡北道でそう語られるのかはわからないが、そうなのだ。この伝説は早くに鳥居龍蔵が本邦三輪山伝説の同系話が広くアジアに分布すると示した一例で、谷川健一も『蛇: 不死と再生の民俗」(冨山房)で引いている。

鳥居はこの広積寺の伝説は中でも非常に古い型だろうと述べているそうだが、確かに「なぜ糸をつけて追うのか」という根本的な問題に対し「蜘蛛だから」という端的な筋を提供している(使うことを教えたのは僧だが)。

ともかく、竜蛇からの「英雄の誕生」を語る典型的な伝説であるのだが、父が龍であると同時に「母もまた人ではない」というスケールの大きな話でもある。また、竜蛇と蜘蛛(機織姫)の関係においても、十分に参照せねばならない一話といえるだろう。