馬岩とアチャ山

韓国:慶尚北道聞慶郡籠岩面

慶尚北道聞慶郡籠岩面に、連川里という村があり、昔は馬岩と呼ばれていた。

甄萱が後百済を建てる前に、近くに住んでいて、毎日剣を練磨していた。軍馬が欲しいと思っていたところ、砂の上に馬の走った跡を見つけた。しかし、毎朝伺っても、通った跡しか見られなかった。そこで甄萱は夜明け前から岩の後ろに隠れて待つことにした。すると、ほかの岩の中から一頭の馬が出てきて走るのであった。彼は追いかけこの馬をとらえ、お前は後百済を建てる自分を助けに現れたのだろうが、その脚を試そう、自分の放つ矢より遅ければその首を切る、といった。

こうして甄萱は矢を放ち、彼を乗せた馬は風のように飛び出した。そして、二里ほど離れた山まで来た甄萱が馬を下りると、矢の音が聞こえないので、既に矢は飛んできてしまったのだと判断し、馬の首を切り落としてしまった。ところが、その時に矢が飛んできて、目の前に落ちたのだった。甄萱は自分が誤って龍馬を殺してしまったことを悟り、泣いて悲しんだ。この龍馬が出てきたことからその岩を馬岩と呼ぶようになり、村の名にもなった。さらに、甄萱が馬の首を落としてしまい「アチャ(しまった)」と嘆いたのでアチャ山というようになった。

崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より要約


竜馬は水と縁が深く、大抵は水から出てくるが、韓国朝鮮では「岩から出てくる」という場合もあり、いろいろな話に繰り返しその光景が語られる。英雄との絡みでいえば、後百済を建てた甄萱(キョンフォン)の伝説にそういった馬が出てくる。「あちゃー」でアチャ山だというオチだと笑い話のようだが、もっと「神話」として整えて語られる甄萱伝説として(アチャ山の由来はいわないが)も、この話は入ってくる(例えば、黄浿江『韓国の神話・伝説』(東方書店)など)。

もっとも、この「矢と競争させて誤って馬を殺してしまう」というのは良馬伝説の定型であり、百済時代の武官や、下って太祖李成桂も同じ過ちをしている。また、それを示す馳馬台とか千里馬塚など地名由来になっているのも同じ風だ。

筋そのものではないが、この話そのものの語りとして、はじめのうちはただ馬とだけいっていて、岩から馬が走り出たといっているのだが、最後になって「龍馬がでてきた岩を「馬岩」といい……」と説明もなしに龍馬になってしまっているのも面白い。言わずもがな、という感覚なのだろう。

ところで甄萱といえば蛇聟ならぬ蚯蚓聟の子という伝で有名だが、実はまったく異なる出生伝説もある。彼そのものが岩から生まれたという話もあるのだ。こちらには「天馬」が関係してくる。さらには龍の関与があったような話もある。

天馬山と籠岩
韓国:慶尚北道聞慶郡加恩面:天界から落とされた口号と阿鼻が籠岩となり、天馬が山となった。