龍馬淵

韓国:慶尚北道大邱鳳徳洞

昔、慶尚北道大邱鳳徳洞にある大邱川の淵に、龍馬が住んでいるという噂が広がった。この頃、百人の力を持っているという力士が一人いた。彼は百将軍という別称があった。彼は龍馬を生捕りにしようと、遠くからこの淵にやってきた。そして淵のほとりで龍馬が現われるのを待ちかまえていた。すると、はたして龍馬が現われたが、人間の姿を見てすぐ水の中に隠れてしまった。

何度も失敗した彼は、一つの計略をたくらみ、藁で人形を作って淵のほとりにかかしのように立てておいた。龍馬ははじめのうちはすぐ隠れたが、人間のようなものが動きもせず、毎度同じ場所に立っているので、龍馬もそれが自分に害を与えるものではないことがわかった。龍馬は姿を全部現わし、かかしのところにやってきてかかしと一緒に遊ぶのであった。そのすきをつかんで力士は一気に襲いかかり、とうとう龍馬を生け捕りにするのに成功した。

その後、彼は苦労して、生捕った龍馬を大事に養った。そいて、龍馬とともに昇天したという。そのためこの淵は「龍馬淵」と名付けられたという。

崔常寿採集 一九三六年九月
趙永済 慶尚北道大邱府

崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より原文


引いた話は百将軍なる力士(英雄に匹敵する異能の力を持った人、相撲取ではない)のこととなっているが、同様の方法で竜馬を捕らえるというモチーフはいろいろな英雄たちの事績として語られる。しかもこの話のように「共に昇天する」と言いまわされるとなると、竜馬にはグラズヘイムへと英霊を誘うヴァルキューレのような役目もあるのじゃないかという気がしてくる。むしろ、英雄が騎乗する馬は竜馬である、というイメージの根本がここにあるのかもしれない。

韓国朝鮮には、こういった「力士」と竜馬がセットで誕生し、死に際して共に滅びるというモチーフがある。

生まれたばかりの力士を殺す
韓国:蔚珍郡北面新花里:その誕生が忌まれ力士が殺された際、東海から青龍の馬が飛んできた。

これに加えて、当該の力士と「セット」というわけではない竜馬が、自分を捕らえた力士を天に導きもする、というこのような筋も併せて覚えておきたいのだ。。