神武王の化龍滅敵

韓国

新羅末期の神武王時代、王の悩みは東海から攻めてくる倭の海賊であった。倭賊は長鬐岬と竹辺岬の間にある十二個の島を根拠にして、度々村を襲い、暴虐を尽くしてきた。王は在位一年ほどの間、これら倭賊の侵入を防ぐために活躍したが、重病にかかって死を迎えてしまった。

王はその際遺言を残した。倭賊を全滅させずに死ぬのは口惜しい。死んで昇天し、龍になって必ずその根拠地十二の島を沈めん、と。果たして王の死後のある晩、いきなり颱風が吹き、海は波浪で乱れ、雷と稲妻が発生した。

そして黒い雲の中から龍が現われ、尾で十二個の島を叩き、海の底に沈没させた。こうして倭賊も全滅したという。このことから、人々は神武王の霊魂が龍になったというようになった。

崔仁鶴(チェ・インハク)『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より要約


日本で神武といえば神武天皇だが、新羅にも神武(しんぶ)王がいた。わずか半年の在位なのだけれど、その霊魂は龍と化して海に闘ったという。この周辺の動向というのを伝説から実際の歴史の方までたどってみると、大変重要な話になる。必ずしも伝説を歴史に照らしあわせてその正誤を検討する必要はないのだが、この例はそこが面白いところなので見ていこう。実は、歴史的に見るとこの伝説はおかしいのだ。神武王の時代、日本は目立った朝鮮半島への侵出をしていない。ここには前後の記憶の混入があると思われる。

龍と化して倭と戦った、というのは、もっと昔、白村江の戦いの時代の新羅の王、文武─神文王の時代の伝説だ。文武王が自分が死んだら東海に葬れ、そうしたら龍と化して国を護ろう、といったという有名な伝説がある(実際対応すると思われる海中王陵がある)。また、いわゆる倭冦に半島沿岸が苦しめられるのはもっと後の時代のことになる。この「神武王の化龍滅敵」の伝説にはこういった前後の伝説・記憶が混同されているといえるだろう。

では神武王とは何だったのかというと、何を隠そう、彼自身が半島沿岸の島々に拠点を据えてその海に覇を唱えた、時の「海賊王」だったのだ。これが、本邦の中世前夜の動向に大きく関係してくるかもしれない点となる。網野善彦は次のように引く。

「九世紀前半、新羅は打ちつづく党争のなかで衰えつつあり、海辺には舟に乗って沿海をあらし、日本や中国にまで出ていくものが現れた。張弓福はその一人で、全羅道の莞島を拠点として沿海の舟人、海民を従えて中国・日本と貿易し、独自な勢力を築き、神武王を王位につけた。旗田巍氏はこれを「海上の支配者」「海賊的首領」としている(岩波全書『朝鮮史』一九五一)が、こうした朝鮮半島の激動の波が西日本に及んできたのである。」網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫

ということで、実際に力を持っていたのは張弓福(張保皐)であって、神武王はその勢力と手を組んで王位に就いた、ということなのだが、ともあれ、そういった人々がいて、それが「龍」であったのだと思われる。

張弓福の「王国」は840年代には瓦解してしまうが、そこから流出した人々が、続く西日本の海賊時代の幕開けに大いに影響しただろう、と網野はいう。貞観年間には大宰府高官、藤原元利万侶が新羅国王と通謀して叛乱を企てたことが露見し、追捕されている。承平天慶の乱の前夜には、こういったことが起こっていた。その中から、竜蛇を祖とする伝説を持つ緒方や河野という一族が台頭してくるのであります。海に覇を唱える一族は竜蛇の眷属である。そいういった意識が海をまたいで盛り上がった時代であったかもしれない。

神武王の伝説は、こういった西日本の中世前夜と竜蛇のことを考える際に、織り込んでいきたいひとつの象徴的な話だ。この時期、東は僦馬の党が暴れまわったのだけれど、西は「竜蛇の党」が行き来していたわけだ。