竜になったうさぎ

西日本新聞社『福岡県の昔ばなし』原文

今から七百年あまり前、わが国が宋(現・中国)と交易をしていた時代のことです。
大応国師という僧がいました。国師は二十五歳のとき、志をたて留学生として宋に渡り、虚山というところの虚堂禅師について学びました。
帰国を許されたのは、三十三歳のときでした。
つらく苦しかった八年間の修行が認められ、国師の胸は喜びでいっぱいでした。

春の宵、別れの宴が催され、国師は、その夜おそく旅立ちました。
翌朝の船に乗るために、二つのけわしい山を越えなければなりません。
やがて、二つ目の峠にさしかかったときでした。
月の光に照らし出された山道に、ピョン! と、一匹の白いうさぎが跳び出してきました。
うさぎは、おびえているようでした。
「おや、どうしたのだ?」
国師は、やさしくうさぎに手をのばしました。

そのときです。
ウォーッ! と、獣の声が迫ってきました。
見ると、行く手に、十数頭もの血に飢えた狼の眼が、らんらんと光っています。
国師は、急いでうさぎを懐に入れると、おもむろに念仏を唱えはじめました。
その念力に打たれたのか、狼は、山深く去って行きました。
「よし、よし、もう安心じゃ…」
国師は、うさぎを懐から出すと、道におろしました。
しかし、うさぎは離れようとしません。先になり、後になりして、ついて来るのでした。
「わたしと一緒に行きたいのか?」
国師は目を細め、またうさぎを懐に入れると、先を急ぎました。

翌朝、無事に港に着きました。
港は、日本に渡る宋の人や帰国する留学生などでごった返しています。
岸には、五隻の船が待っていました。
空はうららかに晴れわたり、波静かな船出びよりです。
ところが、船が玄界灘にさしかかったころ、空は急に黒い雲におおわれ、大粒の激しい雨が降り出しました。
船は大きな波のうねりの中で木クズのように揺れ、五隻の船はいつしか散り散りになって、互いの連絡もままならなくなりました。
船頭は必死になって補をあやつり、舵をとりましたが、玄界灘の荒波に、船は今にも砕けそうでした。
国師は、船の舳先に正座すると、一心に念仏を唱えはじめました。

──と、国師の懐から、うさぎが跳び出し、あっという間に海へと姿を消しました。
不思議なことが起こりました。
うさぎが跳び込んだところの波だけが静かになり、はねて行くにつれて海水が干しあがり、一本の道ができたのでした。
船にいた誰もが、肝をつぶしました。
やがて、人々は我に返ると、道に飛び降り、歩き出しました。
道の両側は、荒波が渦巻いています。しかし、道はどこまでも平らで歩きやすく、人々はうさぎに導かれるようにして、博多の姪浜にたどり着きました。
そのときです。
うさぎが燦然と金色に光り輝き、空高く舞い上がったかと思うと、やがて、八大竜王の姿となって天に消えて行ったのでした。

西日本新聞社『福岡県の昔ばなし』より