星になった赤ん坊

兵庫県宍粟市

むかし、子のない老夫婦がいて、いろいろな神さまに願を掛けていたが、いっこうに子が授からなかった。これがある年の七夕の晩に天の川の絹屋の織姫さんに一生懸命頼んだところ、翌朝庭で赤ん坊の泣き声がし、見てみると桑の木のところで女の赤ん坊が泣いていた。

夫婦は織姫さんが下さったに違いないと喜び、大事に赤ん坊を育てた。その子はすくすく育ち、大変美しい娘となったので、夫婦は大変幸せに暮らしていた。ところが、この女の子が八歳になったとき、ぽっくりと死んでしまった。夫婦は嘆き悲しみながらも、女の子を桑の木の下に埋めてもらった。

そして、ふと桑の木を見ると一匹の青虫がいた。夫婦はこの虫はあのこの身がわりに違いないと思い、大事に育てることにした。いろいろな食べ物を与えてみたものの、青虫は桑の葉しか食べなかった。秋が来ると、虫はまるまると肥って、立派な繭を作った。繭は金色に輝き、二人が見たことのないようなきれいなものであった。

しかし、よく晴れた秋の夜、きれいな繭はいつの間にかなくなってしまった。夫婦がどうしたのかとあちこち探すと、桑の木の繭のあった方角の空に大きな金星が光っていた。二人は、あの虫が織姫さんのところへ帰って星になったのだろう、と話し合って、それからは金星を眺めては可愛かった赤ん坊を偲んで暮らした。

未来社『日本の民話14 大阪・兵庫篇』より要約


極めて重要な伝承。
東の養蚕の縁起である金色姫の伝説は、七夕・星祭まではつながない話だが、この宍粟の伝説はそこまで一気につないでしまう内容となっている。なお、採取地は宍粟郡とだけあるので、現在宍粟市に編入された範囲かどうかは分からない。

序盤の女の子が授かり、幼くして死んでしまうまでの流れは、この話が水神に祈願し授かる娘が蛇体となり水に帰る系統の話と非常に近いものであることを物語ってもいて興味深い。

宇賀神の由来
東京都三鷹市:井の頭弁天の由来。弁天に祈願しもうけた娘が蛇体となり池に入る。

現状、播磨の方で、養蚕絹織と七夕伝説・星祭がどのように連絡しているのかが分からないので、より詳しい見解はそのあたりを調べてからとなるが、密接につながり祭祀が行われている(行われていた)となると、その縁起の一つとして大きくクローズアップされてくることだろう。「絹屋の織姫さん」などという呼称にその一面はすでに見えてもいる。

また、翻って東国を見るに、栃木に色濃い星宮祭祀が養蚕業とはどのようにかかわっているだろうか、という点に関しても調べ、比較してみる必要が出てくるだろう。