南河田の八竜亀ノ宮

愛知県愛西市内:旧佐織町南河田町

南河田の神明社には、八竜亀ノ宮が合祀されている。元宮は、南河田の南東、日光川沿いの八竜にあった。
大正元年一〇月合祀されたが、江戸時代にも廃社とすることがあり、その時関係する者が奇病にかかった話が伝わる。

深田の中に龗の宮あり、土民此を一串に八竜お亀の宮と呼有、今の人、亀の宮と八竜とを二宮とおもふは笑ふべし。〔里老曰〕百年余前に村民相議て、八竜の宮を没収して田所に起せし事ありしが其企たる頭取の者ども七、八人皆睾丸の腐る奇病を煩ひて同時死にたり。神罰立所にあたりて衆人恐惶(おそれ)て、亦旧のごとくに宮地を築き松を植えて神地に返し奉るといふ。

と『尾張国地名考』にある。今、あたり一帯は八竜遺跡(『町史資料編二』)にあたり、弥生式土器や土師器・山茶碗が出土している。

『佐織町史 通史編』より原文


特に竜蛇が登場しているというわけではないが、重要な記録だ。すなわち、「お亀の宮」と下ってされた存在が「龗(おかみ)の宮」であった、故に八竜とは同体であり二つの宮ではない、と『尾張国地名考』は書き残しているということだ。

これは各地の亀伝説の地・神社を考えていく上でも参照すべき事例だろう。もとは龗を祀っていたのじゃないか、という視線で亀の伝承を見ていくこともできるわけだ。無論直ちに思いつくような比較ではあるが、参照できる事例がある、というのは大きいだろう。

しかし「睾丸の腐る奇病」で祟ったとは恐ろしい神さまであります。蛇などナガモノに小便をかけると性器が腫れるという、言わない土地のない俗信に近くもある。