椀貸淵

山梨県南都留郡道志村

湯本のかま淵に、或男が誤って斧を落し、水をくぐって取りに行くと、淵の中でお姫様が機を織っていた。落した斧の外に一本の木管をも頂いて帰り、その後は木管を持ってかま淵の岸に立ち、欲しい物の名を云って頼むと何でも貸してくれた。この淵はそれ以来膳椀などを貸してくれる便利な淵となったが、お姫様から鶏の声をさせてくれるなと云われた言葉を忘れ、鶏を飼ったためにその後は何も貸してくれなくなったという。(『甲斐伝説集』)

みずうみ書房『日本伝説大系5』より原文


『大系』の類話の方にある。

かま淵はまた御姫淵ともいって、このような姫のいる淵として周知されている。いろいろな伝説があり、また椀貸伝説としても話型の幅がある。例えば、この樵がお姫様に道志の艶話を所望されて、一生懸命語って喜ばれてお礼に木管をもらってきたりもする。また、湯本に鶏がいない理由というのは共通して語られる要素なのだが、その理由が語るなと言ったこの一件を語ったのに姫が怒って、淵から怪鳥が飛び出して里の鶏などを皆攫ってしまったので鶏がいない、などともいう(共に著:伊藤堅吉『道志七里』より)。

ところで今回この話で注意しておきたい点は、「鶏が鳴いたので竜宮(だろう)からの椀貸の道が途絶えた」というところだ。この椀貸伝説の結末は全国的に「借りた膳椀を返さなかった」「壊したことを黙って返した」のいずれかで縁が切れるという話運びになっている。

浮膳ものがたり
宮崎県東臼杵郡美郷町内:旧西郷村:祭りや祝いの日には、おせりさんが膳椀を貸してくれた。

しかし、一方でこの伝説を伝える土地にはまま「その伝説の竜宮の椀を伝世した旧家」というのがあり、いささか話が矛盾することになる。不正直ゆえに膳椀がこちらに残ったのなら、それを家宝とするのは不名誉の伝統になるはずだ。

むろんそのような意味で家宝としているはずはなく、「不正直の戒め」は後から一世を風靡した型なのではないかと思える。このようなことがあって、「不正直」を語らずに竜宮との縁が切れる椀貸伝説というのは重要なのだ。以下なども参照されたい。

椀貸の池
新潟県長岡市内:旧山古志村種苧原:庄屋はジャノヘソによって池から色々の品を借りていたが、そのジャノヘソが盗まれてしまう。

ちなみに、この道志の伝で独特な「鶏の禁忌」だが、この地が落人伝説の色濃いところであることを併せて覚えておきたい。鶏を禁ずるのは落人の里の伝にもよく付随するモチーフだ(鳴き声で人里があるとわかってしまうから)。鶏の鬨の声そのものが幽世との境を切ってしまうのだ、という意味も当然あるだろうが、そういった線もあるかもしれない。