蝮の銀右衛門

山梨県上野原市新町

昔、上野原の新町に里吉銀右衛門という百姓がいた。大変な気丈夫で、評判の働き者だった。ある時、銀右衛門が谷間の道を稲田へ向う途中、三メートルを超えるような大入道がたち現われた。しかし、銀右衛門は恐れず大入道を睨み据え、ゆうゆうと稲田を見回った。

この後度々大入道が現われるようになったが、銀右衛門はいっこうに恐れる様子もなく、日々の仕事を続けた。すると、今度は白髪髭髯の仙人がたち現われて、「お前にはこわいものがないのか」と銀右衛門に問うた。

「道でマムシに咬まれやしないかと、それだけがこわい」と銀右衛門が答えると、仙人は笑いながらマムシの毒を消す秘法を教えてくれた。この療法は不思議な卓効があり、たちまち評判となった。これは今でも同家に伝えられている。

みずうみ書房『日本伝説大系5』より要約


蛇遣い、というのは洋の東西を問わずいる訳だが、無論日本にもいて、戦後であっても祭の香具師には蛇を体に巻きつけ、怪しい傷薬を売る蛇遣いがいたものである。さらに少し遡った江戸時代には「蛇に咬まれた際の療法を持つ/蛇を操る(寄せる・除ける)」の双方の技術を操る家筋がたくさんあったのだ。殊に関東周辺では甲州街道筋に色濃く、この代々銀右衛門を名乗る家が代表格である。

双璧をなす志村という家が八王子の方にはあるが、共にその名をだすだけでも蛇は除けたという。両家は別に蛇を「討伐」するわけではないので、蛇が恐れて除けるというわけではなく、蛇を操る家柄、としかいいようがない。この土地に独特ということではなく、例えば米沢の方には静田家という同じような家があるそうな。

蛇のお守り
山形県米沢市:静田家の先祖が蛇を助け、蛇の王から蛇除けの護符と毒消しの薬の処方を授かる。

上野原の里吉銀右衛門家の秘法で用いる薬湯はワラビとチガヤの根を煎じるのだという。この家の人が山にワラビやチガヤを採りに入るのが見えると「誰か蛇に咬まれたな」と分るほどだったそうだ(東京美術『蛇の宇宙誌』に詳しい)。