雄島の神の悪魚退治

福井県坂井市:旧坂井郡三国町安島

昔、モックリコックリが大魚になって、雄島さんを沈めようとし、九分通り沈めた。雄島さんは島の竹を矢にして射かけたので、島の竹がなくなってしまった。困っているとお宮の前に一本のかぶら矢が降ってきたので、これを射かけると千本の矢に分かれてモックリコックリに当たった。あるいは、四十二本の矢に分かれて大魚の両眼を射抜いたともいう。

この日は大年で、翌元旦に大魚の死骸が北のアカハシに上がった。大魚の血に染まったのでアカハシの石は今でも赤い。村の人々はこの大魚を食べようと臓物まで食べたので、正月には雑煮を食べるようになったのである。また、大魚は大きく、次の年まで食べてもなくならなかったので、正月に魚を造って次の年まで取っておくようになったのである。

こうもいう。その頃、安島にも雄島にも竹が生えていなかったが、攻めてきたモックリコックリを射る為に矢竹がいると、雄島さんが困ったので、一夜のうちに雄島には竹が生え、今でも安島には竹がないのだと。

モックリコックリは山の仙人だったが、伝教大師が来たとき十年の約束で山を貸した。この時、亀が大師に知恵を貸し、十年の証文の十の上にチョボンを書くと千になると教えた。こうして千年の証文に山を取られてしまったモックリコックリが、行く所がなくなって雄島へやってきたのだ。

みずうみ書房『日本伝説大系6』より要約


「むくりこくり」は蒙古高句麗のことであり、その脅威が怪異全般をさす名として残った、とされる。そのような総称であるので「むくりこくりの姿」というのも難しいのだが、ここでは神に抗い島を沈めるほどの大魚になっている。矢で目を射られるあたり、竜蛇に近しいといえるだろう。

このあたりの土地は継体天皇が九頭龍(黒龍)川の治水をされた/継体天皇が黒龍を討った、という伝説が広く語られる地でもあり、また雄島対岸あたりには、継体天皇が海に向かって矢を射るごとに潮が引いて陸地が増えた、などの伝もあり、いずれそれらと結びついているだろう点からもそういえる。

気になるのは、もっくりこっくりが仙人であったころの再後段。これは「千年の証文」という竜蛇が土地池沼をだまし取られる定番の筋だが、それらには地主の神の側面がある。むくりこくりが蒙古高句麗の印象を引いているなら、新来の脅威でありそうなものだが、より古いイメージとも結びついているのだろうか。

蛇石の事(岩蔵寺縁起)
宮城県岩沼市:慈覚大師が千を十と見せる証文で地主の大蛇を騙す。