庄屋の主の話

『山古志村史・民俗』原文

その坂牧さんの家(庄屋)にはやっぱり大きい主がいたなんて言ってね。それでね、どういうことでわかるかというと、村に火事があったり、それから何かがあったりするとね。屋根の人間が上がらね所に──昔、全部萱葺きのお寺みたいな家でしたから──だからそのヤバラに上がってね、隠れているんだそうですね。そしてもう家中それこそもう、カタカタ、カタカタと、こう、ゆするんだそうですね。大地震が来たみとね家中がゆすられるって。
「ああ、主が猛(たけ)たんが。また何かがあるぞ」
と言うとね、村に火事があったり、大水が出たり、そういうことんなったそうですね。

それでね、お婆さんが子供の時に家を作り直したんだそうですね。その時やっぱり。鎮守様のすぐそばなんです──今、ほれ、オオカミっていう三角の良い家があるでしょ、あそこへ。鎮守様のこっちへ。その隣なんです、その庄屋の家はね──そこね、鎮守様の沢の中とこう繋がってるから。主だからね、神主を頼んできて、栃尾のほうからだかどっからだか神主を頼んできてね、その主を移動してもらったんだそうです、お経あげてね。
「鎮守様の沢の中にいったん行ってくれ」
ていうんでね。お経っていうか、祝詞っていうか、神主を、神官を頼んでその神様の移動するお経を上げてもらってやったそうです。

今度棟上げしてね、まだ家の中の造作なんかしないうちにね。棟をみんな、棟木を上げて恰好が出来てしまったから、また神官を頼んできて、
「ああ、今度家が出来たからここへ来て下さい」
って、こう言ってね。鎮守様の沢の中から家に来てもらうその式を上げたそうです。
そしたら、やっぱり、その朝起きてみたら、縁の下に──きれいに地表みんな作ってるでしょ、こしゃえて家を建てるでしょ──ところがその縁の下にね、こんな丸い穴がね七つ開いてたそうですって。今の人はそげんこと言うと嘘だ言うけどね、家のお婆さんが子供の時本当にその穴を見たって言うんですからね、七つね。
そしてもう、何かあると必ずその主が家を、こう、ゆさぶるんですと。
〈種苧原・坂牧ミト(M43・5・16生)〉

『山古志村史・民俗』より