お千代の池

神奈川県川崎市高津区久地

お千代の池は、久地でも多摩川に近い小名・川辺にあった。

昔、川辺のある家に子供のない夫婦が住んでいた。どうかして子供が欲しいと、二人は池の辺にある弁天様に願をかけた。すると可愛らしい女児が生まれ、その子を千代と名づけた。やがて美しい乙女に成人したお千代はどうしたことか、弁天様をお詣りしたがるので、お千代の母は一緒にお詣りにでかけた。

ところが、お千代は帰りに母から離れて、何の理由もなく池に飛び込んでしまった。母は青くなって助けようとした時、お千代の体は浮かび上がって来た。美しい顔に微笑が浮かんだかと思った瞬間、その顔は恐ろしい大蛇の顔となって沈んでしまった。夫婦は非常に悲しんで、その日を命日として、池の中に赤飯を投げ込んでやった。

お千代は心願をかけて生まれた子だが、こんなことになるので、いくら子がなくても、心願などかけるものではないという。

石塚兎之一「お千代の池」(相模民俗学会『民俗』第一五号所収)

『川崎市史 別編 民俗』より原文


これはもうまったく井の頭弁天の女人蛇体の話だ。実は、間の世田谷にも井の頭の弁天に祈願して生まれた娘が井の頭池に飛び込んで蛇体となる伝説があり、どうもこの話は南下して多摩川をこえたらしい。

宇賀神の由来
東京都三鷹市:井の頭弁天の由来。弁天に祈願しもうけた娘が蛇体となり池に入る。

久地のお千代は井の頭弁天に祈願して生まれ、その池に飛び込んだわけではないが、同系の話が全国に枚挙にいとまなくある伝説とはいえ、こうも同じ話運びとなると、三鷹の方からの伝播とみてよいのじゃないかと思う。

このラインは一方で「影取池」の伝承が連なるものでもあるのだが、一体どういう「ライン」なのかというとよくわからない。そこを考えていく上での、もう一つの線に弁天と女人蛇体の伝説の連なりがある、ともいえる。