猪子山の大蛇

神奈川県横浜市保土ヶ谷区

旭区川島町の猪子山には大きな蛙が沢山棲んでいて、その蛙のことを猪子と呼んでいた。ある年雉子川に大洪水があり大蛇が流れてきて、猪子山に棲みつくと、山の猪子たちをみな食べてしまった。

そこで村人は相談して、津久井(愛甲か)の荻野村の猟師十兵衛に頼み、大蛇を鉄砲で撃ちとってもらった。猪子山の山主三村亀太郎の立会いの下で、新井新田と川島の二人で、大蛇を半分に切って分け、頭を川島に、尾を新井新田に持ち帰りそれぞれ弁天として祀った。

『保土ヶ谷ものがたり』より要約


このうち川島の弁天が保土ヶ谷高校北の蛇骨龍王弁財尊天として知られ、これはおしゃもじさま(社宮司)でもある。この話は新井と川島のこととして語られるが、一方川島と白根のこととして語るものもある(新井・白根は旭区になるが、中心となる川島に準じて保土ヶ谷区の扱いとした)。

また、もと話は「真二つにされた大蛇を祀った話」として新井─川島・川島─白根の両方の話をまとめているのだが、猪子山の話として分けてタイトルも「猪子山の大蛇」とした。つまり、「猪子山」の所に注目したいのだ。

すなわち猪子(いのこ)とは蛙のことだといっているのだ。今は山ということはないが、猪子公園など名は残っており、この伝は残すことができる。元話には「その蛙はトノサマガエル・ヒキガエル・イボガエルなどといわれるもので、その蛙のことを猪子と呼んでいた」とある。

ちょっと現状他に例を知らないので迂闊なことは言えないが、猪子・亥の子が蛙を意味するということが広くあるようだと、猪と竜蛇の関係を考える上でも非常に問題となってくると思われる。

無論二分された大蛇を弁天として祀った話(そしてそれが社宮司でもあること)そのものも、土地のおそらくは水利権の問題をよく反映している伝として重要。これは川島─白根の話として扱おう。