伊豆諸島の大蛇伝説(一)

『旅と伝説』「伊豆七島の伝説(一)」原文

この大蛇伝説は、話す人によって色々に変って居ました。又三島大明神御縁起(一名三宅記)の中にも此の話が載せてあります。それでこの御縁起から此の伝説が出て来たか、或は古くから有った、此伝説を御縁起の中へ取り入れたかと云う事は、今の処不明であります。それで此所には最も委しく話されたものと、簡単な話とを挙げて見ようと思います。

昔、箱根の湖のほとりに、漁夫の老人夫婦が住んで居りまして、二人の仲に三人の娘がありました。翁は毎日毎日湖に出ては釣りをして居りましたが、或時終日釣りを垂れて居ましたが、小魚一匹掛かりません。余りの事に思わず「此の湖に若し主が居るならば、どうか此の舟に一杯の魚を下さるならば、其御礼には三人ある娘のうち、何れでも御望にまかせて差上げましょうに」と呟きました、と同時に舟の中へ小魚が、ヒョコリヒョコリと数かぎりもなく飛び込んで来て、忽ち舟一杯に成ってしまいました。それで翁は急に薄気味悪く成って来まして、急いで漕ぎ帰ろうとしますと、水底から「二三日中に約束の通り迎いに行くから三女を貰いたい」と云う声が聞えました。

翁は家に帰って平生に無く打ち沈んで居るので、老婆や娘達は不審に思って、色々と尋ねましたので、翁は云わずにも置けない事なので、実は今日い限って魚が一匹も釣れないので、あまりのことに思わずもこれこれしかじかと仔細を語り、帰り際に水底から声があって、三女を呉れろ迎いに行くと云われたので、今にも娘を取りに来るかと、それが悲しさに思い患って居るのだと話しました。三女は「それなれば私に考えがありますから、私達に御任せ下さい」と云いますので、翁も不安ながらも娘の計らいに任せる事にしました。

三女は家の後ろに小屋を建てて貰い、其処に入って待って居りますと、丁度三日の夜中頃湖の主は迎いに来ました。そこで三女は忽ちに鳩となって、富士山の絶頂へ逃げました。湖の主は非常に怒って大蛇の姿を現わして、恐ろしい勢で後を追い掛けました。

三女が富士山の絶頂に飛んで行きますと、折よく事代主命が此処に居られて、委細の話を聞かれて可愛そうに思われて助けられる事になりましたが、彼の大蛇は此時冨士の麓まで追って来て、既に山頂目がけて登ろうとして居ますので、この娘を連れられて大島へ飛ばれました、大蛇も亦大島へ追って来ましたので、又二人は打ち連れて三宅島へ飛び、娘を雄山に隠して置きまして、王子や家来を集められ、あんねいこまんねいこの二人の王子に二つの大きな穴を掘らせて、一つの穴には飯を一杯つめ、一つの穴には酒を波々湛えさせ、又火之迦土命に命じて急ぎ霊剣を鍛えさせ、これを差出命に御授けになって、大蛇を退治する事になりました。

そうこうする内に、大蛇は追い付いて来ましたが、先ず彼の飯と酒に目を付けて、腹一杯に飲み食いして遂に其場に酔い倒れて、鱗を立てて寝てしまいました。其時差出命が忍び寄りまして、彼の霊剣を以て大蛇を斬り殺しました。その血が淋漓と流れて其処の野原を、真紅に染めましたので、此処を血走りの原と名付けたのだと云います。蛇は三断に斬られて、尾は大島に飛び、頭は遠く八丈島へ飛んで行きました。それで今も八丈島に蝮が多く大島には青大将が多いのだと云って居ます。

大蛇を退治した後事代主命は彼の娘を尋ねましたが見付かりません、四方を探してようように、躑躅の花の中から尋ね出されました、そこで何故に隠れたのかと仰られると、娘は「小蛇が居たのを見て、これも大蛇の縁りかと思えて恐ろしさに、躑躅の仲へ立寄ったので、私の紅梅の衣と躑躅の花の色と似て居るので、見えなかったのでしょう、決して隠れたのでは御座いません」と申しました。それで事代主命は腹を立てられて「以来は此島に躑躅は有っても花が咲くな、又蛇は娘を怖じさせたに拠って、たとえ小蛇であっても、以後此島には栖わせない」と仰せられたので、今も阿古村の躑躅平には、躑躅の木は沢山有りますが、花が一つも咲かないそうでありますし、又島中何処にも蛇は居りません。又他から蛇を持って来ても、一時間も経たない中に死んでしまうと云って居ります。

この娘は後に事代主命の正后となられて、佐伎多麻比売と申されて、今神着村に祀られて居る御笏神社がそれだと云う事であります。又剣を鍛えた火之迦土命を火戸寄明神、大蛇を斬った差出命は差出明神と祀られて、彼の血走り原の附近に祠が御座います。大蛇退治の霊剣は今も御笏神社の神宝として有りまして、毎年正月七日には悪魔除けとして、三宅島各村を一巡する事になって居ります。(伊豆七島の伝説(一)藤木喜久麿)

『旅と伝説』11号より