町奉行のひつぎに落ちた雷

東京都新宿区北新宿

北町奉行であった中山出雲守時春がなくなり、その葬儀の日のことであった。菩提寺が飯能の能仁寺だったから、葬儀の列が、江戸の屋敷を出て飯能に向うため、柏木のあたりにきた。このあたりは、やや窪地になっていた。

その窪地にさしかかった時のことである。ものすごい豪雨とともに雷が鳴り出し、ひつぎに雷が落ちてこわれてしまった。中山が生前、裁判があまりにも過酷だったので、罪人のえん霊がたたったのだといわれた。それ以後、そのあたりを「雷が窪」と呼ぶようになった。

その後、毎年墓参のために遺族がこのあたりを通ると、ふしぎに雷鳴がつきまとった。里人はそのたびごとに、「中山が墓参に出たよ」とうわさするようになり、さらに略して雷鳴があると「そら中山だ」というようになった。

出典 淀橋誌考 加藤盛慶著 昭和6年7月 武蔵郷土史料学会発行

新宿区教育委員会『新宿と伝説』(非売品)より原文


竜蛇と雷の関係という線から押さえておきたい話。殊に、新宿から中野にかけての中野長者伝説にも紐つけておきたい話である。無論、このままで関係線が引けるという直接的な事例ではないので、次のような事柄を踏まえてということになる。

まず、葬儀における怪として、遺体が奪われる・消失する、というものがある。火車が有名だが、これは猫の姿で描かれもし、多くの場合遺体にあやかしをなすのは猫である。ところが、これが竜蛇の仕業である、という話がままあり、山門の竜像や竜巻も遺体を奪ったりする。

そして、その中野長者伝説の原型話において、まさに雷と竜蛇の縁が深く語られるのだ。中野長者の娘は、雷が落ちたことにより蛇体となる。

成願寺勧進帳(冒頭)
東京都中野区本町:浅草観音への祈願から長者となった鈴木九郎だが、娘が雷に打たれ、大蛇と化してしまう。