岩井のお供物

千葉県長生郡睦沢町

鵜羽神社の祭礼に岩井区の野口友嗣家で往古よりお供物として「牛の舌餅」すなわち牛の舌の様な型をした餅十五枚と「白蛇餅」これまた蛇の様な型をした餅を一個作って当日は一宮町下の原の天王様に供えてくる。祭式終了後、牛の舌餅は感冒の妙薬との言い伝えから村人これを取り合う。また白蛇餅は神輿に納められて岩井に持帰り御手洗の井戸に放たれて当日の儀式は全部終了する。伝えきくところによれば、この白蛇の楼む井戸は大東岬鳴山の井戸に通ずるといわれる。

〔参考〕古宮と祓戸の松

鵜羽神社の南隣の谷を古宮と称す。口碑によればこの所は同社創建当初の旧社地にして、後今の境内に遷座したと、古宮の西方田圃を隔てて、岩熊通りの路傍に一古松あり、里人呼んで祓戸の松という。祓戸は祓どころなるべし。考えるに往昔鵜羽神社祭典の折、この所に御仮屋など設けて祓いをしたものか、今は松はないが語りつがれている。

『睦沢村史』より原文


極めて重要な伝承。鵜羽神社そのものに関しては、上総一宮を中心とする祭祀を構成する一社で、これはこれで大変重要な件なのだが、そこはここではさて置く。牛の舌餅に関しても伊豆の河津・見高神社や田京・廣瀬神社に奉納されるものであり、この点も重要なのだが、これもさて置く。

何といっても第一に問題なのは「蛇の餅」だ。吉野裕子は『蛇』(講談社学術文庫)の中で、鏡餅とは蛇をかたどったものではなかったか、と指摘したが、蛇の餅は実在したということになる。

もっとも、これが鏡餅様のものであるのかどうか分らないが、たとえ鏡餅とは違っても十分に重要な事例であるだろう。「餅で蛇を作ることは実際ある」とこれで言えるわけだ(鵜羽神社に関しては牛の舌餅は紹介されるが、蛇の餅があることはあまり紹介されない)。

また、少し神社そのものに関しても指摘しておきたいことがある。上総一宮・玉前神社(玉依姫命)と鵜羽神社(鵜茅葺不合命)の神婚というモチーフが上総の秋祭の重要なところなのだが、これによって「生まれた神々を鵜羽神社の井戸に流す」のだという(玉前神社社伝より)。と、するならば、御手洗の井戸に放たれる白蛇餅がそうなのではないか。

そうならば、これは相模をあげての祭「国府祭(こうのまち)」にまつわる伝と大変近い。相模では、相模一宮から四宮・五宮格の平塚八幡の神は、相模総社・六所神社の母神から生まれた「蛇の子」であり、これが国府祭の時に集結するのだ、という。

鵜羽神社の白蛇餅が生まれた神々であるとしたら、相模と上総は同根の神話を持って伝えていた、という可能性が出てくる。もしかしたら、ここには南関東で最重要クラスとなる竜蛇伝承が眠っているのかもしれない。