皇武神社のおきぬさま

神奈川県相模原市中央区


昔春蚕の時季、皇武神社の氏子の家で、働き手のお嫁さんが病み、困ってしまった。それで神主さんに、娘さんに手伝ってもらえないかと相談したが、生憎都合が合わなかった。ところが、不思議なことに、翌朝にその娘さんが手伝いにきてくれたのだ。

娘は良く働き、気立ても良く、家中が明るくなった。やがて嫁の病気も良くなり、養蚕の結果も上出来となり、神主へのお礼もあって、娘を神社に送っていった。すると、娘はお詣りをするから、とお宮へ向かい、たちまち白蛇に姿を変えて、中に消えてしまった。

驚いて神主に知らせると、神主は、それはお宮の神様が娘の姿になって助けに行ってくれていたのだろう、といった。この話を聞いた氏子たちが、われもわれもと神社にお札をもらいに来て、神社はたいそう繁盛した。それから神主はお札とともに、おきぬさまという人形を渡すようになった。

おきぬさまというのは手製のあねさま人形で、埼玉北部の方まで養蚕神として信仰された。皇武神社初代神官高橋重信は、白蛇の神像と獅子頭各六体ずつ入れた厨子を奉じて各農家を廻り、前記の伝説をちょぼくれ風に上手に話して、祝詞をあげたといわれる。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

武州北部から上州伊勢崎のあたりまでおきぬさまは信仰されたようだが、坂戸のあたりの話だと、皇武神社から「白い蛇のご神体と、小さい紙の人形が幾つも入った」箱が届いたのだそうな(「おきぬさん」)。掛け軸に描かれる姿は、白蛇をまとった女神であったという。

地元淵野辺周辺から相州にはあまり残らなかったのだが(上の話も淵野辺に語られていたのではなく、おそらく熊谷あたりで採取されたものだ)、その武州北部にはよく定着したようで、養蚕信仰をこえて家の女の人の頼む神となってもいたようだ(「おきのさん」)。

それにしても、構成要素は各地に見られた色々でありながら、そのまとまりかたが興味深い信仰だ。つまり、人の姿の神に作業を手伝ってもらう、という話なのだ。その紙人形の雰囲気からいえば、式神の使役といっても良いようなおきぬさまではある。

皇武神社自体は古来武相の御嶽神社・蔵王権現であり、それが蛇のしかも女神であったのかというと微妙である(ただし、蔵王が蛇王に転じる事例はある)。現在、皇武神社境内には「蠶守神」の石碑があるが、もはや神格を詳しく定めるのは難しい。

一方で、そのような信仰を構成する背景として、外から女の人が来ると(つまりお嫁さんが来た年は)蚕が当たる、という習わしが大住のほうに見えた(「蛇のごしきと蚕」)。これはぜひ頭に入れておきたい。

おきぬさまの広がりの北限と思われる上州伊勢崎では、由来そのものがそちらのこととして土着化しているが、主役となるのは「お絹さん」という蚕日雇、外から家に入る女の人である。そこにも通じるものがある。