池の谷戸の話

神奈川県川崎市高津区


昔、梶ヶ谷の池の谷戸に大池があり、大蛇の主が棲むというので近寄る人がなかった。池の下に一軒家があり、おばあさんがひとりで留守番をしていたが、夜に軒下から人のいびきが聞こえる。こんな夜更けに来る人もいないはずだがと、戸を細く開けて見ると、そこには美しい女が寝ていた。

その人ではないような大いびきをかいて寝ている女は、おばあさんが見たこともなかったような美女で天女のようであった。ところが美女は目を覚ますとおばあさんに、このことを話したら承知しない、と言い、たちまち雲をつくような大蛇となり、池中に消えた。

それから数日。村の子どもたちが池のふちで寝ている小蛇を嬲り殺してしまった。それで蛇を池に投げ込むと、小蛇は向こう岸に届くほどの大きなおろちとなり、白い腹を横たえ死んだ。人々はこの祟りを恐れ、小祠を祀ったという。

『川崎物語集 巻四』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より要約

追記

梶ヶ谷第1公園あたりを池ヶ谷といったらしく、溜池があったという。上の話原文では「こちらの岸からむこうの岸ははっきり見えないほどの広さ」などというのだが、それほど大きいものだったのかは不明。

現在その小祠の末などあるのかどうかも不明だが、話自体よくわからないものではある。前段のおばあさんの家で寝ていた大蛇の美女と、後段の子どもらに殺されてしまった大蛇の話のつながりはあるのか。

そのあたりはさておき、これは大蛇がいびきをかいて寝ている描写のある話ではある。大蛇が大いびきをかくというのは、少なくとも『新著聞集』のころは既にそうなのだが、近々ではその正体は牛蛙であったとなる話が多い。

ここ高津区から多摩川を挟んで少し下った大田区の鵜ノ木ではそういった話が得られている(「食用蛙の鳴き声」)。横浜市には養殖場がいくつかあったというので、早い時期からウシガエルがいた土地ではあるだろう。