竜灯観音

神奈川県川崎市幸区


小倉池の近くに「みそね」という屋号の家があったが、昔、この池の嫁が行方知れずになったことがあったという。家の者が捜し回ったが、見つからぬまま正月十四日を迎えた日のこと。みそねのじいさまがマユダマを刺す柳の枝を伐りに小倉池に行き、手を滑らせて鉈を池に落としてしまった。

池に入って拾おうとしたじいさまだったが、池は底なしで、いつしか竜宮にきてしまった。そしてそこでは、行方知れずになっていた家の嫁が機を織っていたのだった。嫁は喜んでじいさまをもてなしてくれたが、自分がここにいることは決して他言しないよういい、玉手箱をくれた。

じいさまが帰ると、家ではじいさまの三回忌をしているところだった。この不思議なことに、家の者に問い詰められたじいさまは全てを話してしまい、途端に血を吐いて亡くなってしまったという。

玉手箱の中には小さな観音様と竜の鱗が入っていた。みそね家ではこれらを無量院に納め、観音様は寺の千手観音の胎内に納められ、竜の鱗は常明灯の中に納められた。するとそばの松から灯がともるようになり、松は竜灯の松と呼ばれた。(『神奈川の伝説』)。

『川崎物語集 巻六』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より要約

追記

小倉池はもうない。今の小倉小学校あたりにあった溜池という。無量院龍燈観音はよく知られ、その伝である上の話も有名なものだ。それで多く語られるのでいろいろ細部の異なるものもある。

中でも興味深いのは『小倉の民俗』(川崎市民俗文化財緊急調査団)にある類話で、帰ったじいさまの話を聞いた人たちは、じいさんの葬式の時に「墓から竜があがった」のを見た人がいたので、じいさんの話を信じたという(この話では、じいさんは話した時点では死なず、後に玉手箱が盗まれた際に亡くなったという)。

それが何を意味するのかというのも難しいが、このようなヨキ(手斧)取りの人が竜宮に行って帰ってくるのが決まって三回忌や七回忌の重要な年忌であることを思えば、そもそもがあの世と密接に関係する話なのかもしれない。

ともあれ、市内はおろか、南関東の範囲でここまで万端舞台の整ったヨキ淵の話というのもそうはない。いくつかの要素の欠けた類話(「彦六ダブの話」など)から参考に見るのにちょうどよい話ではあるだろう。