堀切の毛なし池

東京都葛飾区


いつの頃かの洪水でできた「けなすな池」という一町三反歩もある池があった。涸れぬ水に水鳥も多く、家康から家光まで狩に来たともいう。それが、綱吉の生類憐みの令で狩もなくなり、池にはますます魚や水鳥たちが増えた。

その頃のこと。池に浮洲ができ、雌雄の大蛇が棲みついた。昼は池底深く潜み、夜になると浮洲の葦の中で、大きな目をピカピカ光らせるのだった。そして、その姿を見たものは病にかかったり、口がきけなくなって死ぬと恐れられ、池に近寄る者もなくなった。

ところが、明治四十三年の大洪水を機に、荒川放水路が開削され、けなす池の始末が取り上げられ、池は埋められてしまった。住民は大蛇の祟りを恐れ、池跡に弁財天を祀った。これが堀切三丁目の毛無弁財天社である。

『かつしかの昔ばなし』萬年一
(葛飾文化の会)より要約

追記

「けなすな池・けなす池」と両方書かれてあり、実際双方の呼び名があったのか誤植なのかは不明。ともあれ、題には「毛なし池」とあるので、高砂の「雨乞の毛なし池」と同じ意だろう。今、菖蒲七福神が置かれている辺りが池であったという(弁天社は天祖神社内にある)。

資料によっては夫婦大蛇と子の蛇の三匹の蛇が棲みついたなどと異同があるが、その姿を見ると障った、という点は同じであり、やはり、蛇で人が遠ざかっている池ではある。

「毛なし」には飢饉の無い、の意であるという説があり、怪異が語られる理由がそこにある可能性がある。緊急時の水源、食糧(魚)故に、平時は手を出すことが禁じられていた、ということではないか。