松巳稲荷のこと

東京都大田区


蛇がいたんですよ、あんまり大きくないけどね。ある人の夢枕に立ったとかっていうね。

あそこのお稲荷さんのとこは、大きな松の木があったんだね。蛇を祀るから、それで松巳稲荷って付けたんだね。あそこに蛇を祀ったら、蛇が出なくなった。わたしら子どものころには、お稲荷さんあすこに建ってなかったですよ。あの角に、田んぼになびいたくらいのいい松の木があったんだ。昔は、電車道までずーっと田んぼだったんですよ。その松の木に、蛇が出てしょうがなくて見物人が来ちゃって、通行止めになるくらい集まって見てるでしょう。だからお巡りさんがね、見物人が来て通行の邪魔になるから、松の木を伐ってくれって、警察のほうからね。まあ、だけど、わたしども、この松を伐れば祟りが恐ろしいから、伐るんなら警察のほうで伐ってくれって言ったら、それっきり来なかったですよ。そうしたら、戦争前ですよ、羽田の大火事でね、焼けちゃったですよ。羽田に大火事があってね、ここら焼けちゃったんです。〔羽田 男 明治37年生〕

『口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
(大田区教育委員会)より

追記

全体的に文意が図り難いので、そのまま引いた。松巳稲荷は小さな稲荷だが今も羽田二丁目にあり、その横にいわれが書かれている(1/3くらいは読めないが)。

そのいわれを参考に順を追うと、まず稲荷があったのではなく、横の家の大松があり、そのうろに多数の蛇がいたのだという。それが大正末の火事で焼け、蛇たちが外に群がり出たので見物人が集まってしまった、ということらしい。

そして伐るの伐らぬのといううちに、松の家の人の夢に蛇の群れと白蛇が出て、その人は蛇たちの居所がなくなるというので夢に出たのだな、と稲荷を祀ったのだそうな。ここは松と蛇が先で稲荷が後ということである。

この羽田では、(おそらく遷座前の、だが)有名な穴守稲荷にも白蛇が出て評判になった(同資料)というし、少し西の本羽田の上田妙法稲荷にも蛇がいて、蛇稲荷と呼ばれたという(「上田のお稲荷さんの白蛇」)。蛇と稲荷の結びつきが非常に強い土地だ。