白蛇の神

東京都大田区


区内には近年流行神として祀り始められた小祠もある。昭和二年四月二十四日大森の浦守稲荷の境内東方にあるクスノキの古木に白色の大蛇が現れ、その後数日間、人目にとまった。だれいうともなく白蛇神と呼び始めた。五月二日うわさを伝え聞き参詣した芝白金の綿貫長治という人が、帰宅直後に念願成就の良運に恵まれたため熱心な信者となり、綿貫氏の周囲の人々も競って参詣するようになった。白蛇があらわれてから四か月後の九月には綿貫氏が講元となって白蛇神参詣を目的とする白栄元講が生まれ、翌年五月には東京の芝・浅草・本所、神奈川の鶴見・川崎、そして地元の大森に信者ができ、千余名にも達したという。また地元の信者は白栄元講の熱意に応え白蛇神として小祠を整え五月三日を縁日とした。

『大田区史 資料編12 民俗』
(大田区)より

追記

当地の流行神の代表例ということで、区史の記述をそのまま引いた。後段は略。戦中に廃れ、浦守稲荷に合祀されたが、その後再度分祀され、稲荷境内に分社が構えられたという。現在境内の案内には少し異なる話があり、組織された講は「弥栄弁天講」とあり、白蛇神祠も弁天扱いになっている。

周辺稲荷に蛇が出て話題となったという話が多く(「松巳稲荷のこと」など)、おそらくはこの浦守稲荷の白蛇の話に大同小異の経緯があったもの(あるいはそれに倣ったもの)と思われる。

ただ、出現した蛇を稲荷そのものと祀ったという例(「蛇を稲荷に祀った話」)などもあり、皆が皆一様というわけではない。浦守稲荷は宝暦あたりに干拓された浦の守護神として勧請された稲荷であり、それそのものは蛇とは関係がない。