法螺貝と三原山の戦い

千葉県木更津市


大昔、中の瀬近くに山ほどもある大きな法螺貝がおり、寝返りで地震が、あくびで嵐が、いびきで海鳴りが、咳をすれば津波が起るほどの東京湾の主であった。ある日、この法螺貝が竜宮見物に行こうと思ったが、その住処は東から鹿野山、西から富士山、南から三原山、北から筑波山の山脚が落ち込む深みであった。

どうにか東北から上がった法螺貝は、霞ヶ浦から竜宮の裏門へ行こうと思ったが、そこを印旛沼の主の八千巻大蛇(はちまきおろち)が塞いだ。両者は譲らず七日七夜の死闘が続いたが、最後に法螺貝が大蛇を投げ飛ばし、決着となった。大蛇は東京湾まで飛ばされ、島となってしまった。これが猿島であるという。

それで法螺貝は霞ヶ浦へ入り、主のところで二、三日遊んでから竜宮の裏門を目指したが、今度は名高い鹿島の要石が道を塞いだ。法螺貝はまた投げとばそうとしたが、根のしれぬ要石は少しも動かなかった。三日三晩思案した法螺貝だが良い考えも浮かばず、楽しみにしていた竜宮見物を諦め、東京湾に帰ったそうな。

さて、猿島となっていた八千巻大蛇は、仇敵の法螺貝が戻ったと知って悔しくてならなかった。それで、大島の三原山の火の神に、法螺貝を討ってくれるよう頼んだ。身近に味方の欲しかった三原山はこれを承知し、火の三原山と水の法螺貝の戦いが始まった。その戦いは地震に山鳴り、嵐に大波を起こす激しいものとなった。

近隣の迷惑は大変なもので、見かねた鹿野山と筑波山が仲裁に入ったが、両者聞かず、両山はついに駿河の富士山に決裁を頼んだ。富士山はこれを受けたが、何をするでもなく、自身の火煙を止め、じっと法螺貝と三原山を見守るだけだったそうな。

ところが、この柔和な富士山の威厳に打たれ、三原山と法螺貝は小さくなってしまい、喧嘩どころか晴れて大空を仰ぐこともできずに両者引き下がってしまった。富士山はこうして大きな争いを鎮めてしまったのだった。しかし、曇りで富士山の姿が見えないときは、三原山の頂上に怒りの煙が上がり、中の瀬近くに息吹が感じられることがあるという。

『新版 日本の民話26 房総の民話』
高橋在久(未來社)より要約

追記

天地の震動、海の満ち引きを起こす巨大な存在の伝説というのは非常に重要な話で、ここではそれが法螺貝であるというのも面白い話だ。東京湾を囲む地勢のイメージが示されたり、鹿島の要石が竜宮の塞神のようであったりと、興味深い節々のある話でもある。

しかし、今はその各々はさて置き、横須賀沖の猿島が印旛沼の主の八千巻大蛇が投げ飛ばされて落ち島となったものだ、という話が語られているところを参照したく引いた。「猿島に渡る竜の話」などから参照される。