笙を吹くソンビ

原文

むかしあるところに、一人のソンビ(学識がすぐれ、高潔な人柄を持った人)が住んでいた。彼は池の畔に亭(あずまや)を建てて、一人暮らしをしていた。彼の趣味は笙を吹くことだった。月の明るい夜、彼は池のほとりにある岩に腰かけて、笙を吹いていた。するとその笙の音は、殷々として下の村まで響きわたったので、村の人びとは、しばし笙の音に聞き入った。村人は彼のことを笙を吹くソンビと呼んだ。それほど彼は、笙が上手だった。

その日はとても月が明るい夜で、ソンビは池の畔で笙を吹いていた。

「プルルリー、プルリー」と楽しく笙を吹いていると、いつの間にか、まったく見たこともない娘がそばに立っていた。ソンビは娘の美しさに我を忘れて見とれていたが、「娘さん、あなたはいったい誰ですか」と尋ねた。

「私がこちらを通る途中、とても美しい音色が聞こえたので、立ち寄ったのです」と、娘は笙の音に夢中になったように、じっと笙を見つめながら答えた。

ソンビには、この娘がまるで天女のように見えた。

「あなたの故郷はどちらですか」

「私は家も両親もない身の上です」

「ではあなたは、……」

娘はソンビの質問にそれ以上答えず、笙をもう一曲聞かせてほしいと懇願した。ソンビは娘の美しさに何も言えず、笙を吹いた。すると、娘は笙の音に夢中になって酔ってしまった。ソンビはこんなにも娘が笙の音にひたっているのを見て、とてもうれしかった。娘のために、彼はのどの痛みも忘れて、夜を徹して笙を吹いた。するといつの間にか夜が明けた。

「ソンビ様、私はもう笙の音を聞かずには生きていけません。まことに申しわけありませんが、どうぞソンビ様のおそばに置いてもらえませんでしょうか」

娘は恥ずかしがりもせず、突然こんなことを言いはじめた。ソンビはこのように清らかで美しい娘を逃したくなかったので、これを聞いて幸せの極みだった。彼らはすぐ夫婦になった。

ソンビは毎日、笙を吹いた。そのたびに娘が満足している様子を見ては喜んだ。二人は幸せだった。

いつの間にか年が変わって春が来て、日差しのきびしい夏になった。しかしおかしな事に雨が降らなかった。村の人びとは、何回も雨乞いをしたが、雨はまったく降らなかった。山では草木が枯れはじめ、池も涸れはじめた。村の人びとは、みんな声を張り上げた。

「神様は地が涸れているのを見てはおられないのか。まったく……」

畑を耕している農夫たちは、天を恨んだ。しかし、誰よりも心を痛めたのは、ほかでもない美しい娘だった。彼女は旱魃がひどくなるほど体が枯れて、顔は憔悴し、心を痛めた。これを見たソンビも気が気ではなかった。

そんなある晩、娘はこっそり家を出た。ソンビは、あれほど愛していた娘がいなくなったので、気がおかしくなってしまった。彼は笙を吹くことも、ご飯を食べることも忘れて、娘を捜しまわったが、どこにもいなかった。

それもそのはず、じつはこの娘は池に住んでいる龍で、ソンビの笙の美しい音に夢中になって人間になってしまったのだった。しかし龍は池の中に住みながら、雨を降らすのが仕事であった。龍がソンビと暮らすようになったので、雨が降らなくなってしまったのだ。娘はそれを見るに耐えず、また池の中に戻っていったのだった。

娘がいなくなった次の日から、ふたたび雨が降りはじめた。村の人びとは、恵みの雨が降ったと喜んだが、ソンビには悲しみだけがつのった。

「ああ、娘はどこにいったのか」

彼は狂ったように叫びながら笙を吹きはじめた。笙を吹くことによって彼は、じっと耐えているようだった。彼が雨に打たれながら、笙を吹きながら、池の畔を歩いていると、不思議な声が聞こえた。

「ソンビ様。私はここにいます。悲しく思わないで下さい」

耳をすますと、それは池の中から聞こえてくる。彼はその声を聞いて、池の中にドボンと身を投げた。その後、村の人びとは、笙の音を聞くことはなかった。しかし雨の降る日に池のほとりを通ると、ソンビと娘が池の中で愛を語る声が聞こえるという。(韓相寿 一九七四)

 

【文献資料】韓相寿 二〇八~一〇頁(一九六三年に慶尚北道慶州で記録)

 

【話型構成】省略

 

【解説】韓国には、龍が雨を降らせたり、洪水を起こして池を造った伝説が各地にあり、そうした池は「龍池」「龍井戸」「龍泉」などと呼ばれています。日本でも、沼の主が蛇で、娘を求めてやってきた「夜叉が池」の伝説が多く見られます。「夜叉が池」の場合は、静かな夜には沼の底に住む娘が機を織る音がするなどと伝える話もあります。

日本には、笙の音に誘われて異類(天女)が人間の妻になる話として「笛吹き婚」があり、かつ「夜、笛を吹くと蛇が来る」とう俗信はありますが、韓国のように龍が笛の音に惹かれて男の妻になる話は聞かれません。

中国では、龍女のような神格をもった女性(神女)との結婚をとりあげた話は、さまざまな型の昔話に見られます。

丁乃通や金栄華の索引では、龍女などが普通の人と結婚する話を、465「妻は美しく賢く、夫は難題に立ち向かう」、555あるいは555D「龍宮で宝物を手に入れ、あるいは妻を娶る」、592A「楽人と龍王」などに分けて扱っています。

楽器を演奏することがきっかけで龍王に招かれ、その娘と結婚する話は、中国では丁乃通・索引592A、金栄華・索引592A「楽人と龍王」やエバーハルト・索引40「龍王の笛吹き」(『中国昔話集』一巻一一四頁)にさまざまな地域の類話が見られます。いったんは人間の世界で暮らしますが、予定された期限がくると竜宮にもどるという展開になる場合が多いようです。【飯倉・樋口】

崔仁鶴・厳鎔姫『韓国昔話集成2』
(悠書館)より