大ムカデ退治

原文

むかし、あるところに一人の盲人が、娘と二人で貧しく住んでいた。ある日、ひき蛙が台所にはいって来た。やさしい娘はかわいそうに思って、自分の飯を食器から取って与えた。

それからというもの、食事の時間になると、いつもどこからかひき蛙が現れた。けれども、娘はいやがらず、自分の食べるぶんが少なくなってしまうというのに、自分の飯をひき蛙に分けてやった。凶年で食糧がなく苦しくなっても、ひき蛙にはちゃんと食べさせてあげた。そのおかげで、ひき蛙も大きく成長した。

ある年、久しぶりにひどい凶年がやって来た。一日中働いても米一つぶも得られない状態になった。餓死する人も方々に現れた。このような最悪の場合、官と民間の間では、神にいけにえをささげる習慣があった。しかし、いけにえの娘を求めるということは、大変むずかしいことなので、たくさんの穀物とお金を払うからという広告を出すのである。盲人の娘は、このたよりを耳にしたとき、とうてい自分の力では父親を奉養することが無理だと判断し、自分がいけにえになることを決心した。その報酬でもって、父親は何年かは無事生きていけると思ったのである。

いよいよいけにえをささげるお祭りの日がやってきた。お祭りは山の奥に入って行なわれることになっており、山奥には、いけにえとして娘をおいてくるダン(堂)があった。神が夜中に降りてきてそのいけにえを食い、代わりに村の災難を免ずると村人は信じていたのである。

娘は父親に別れを告げ、そしてひき蛙にも別れを言って山に入った。祭主たちは娘を堂においたまま降りてきた。夜が更けると風が強くなった。すると、なにかが天井裏から降りてくるような音がしたかと思うと、床からもなにものか飛びはねるような音がした。娘は目を閉じて最後を待っていた。そのときいきなり、いなずまのような光が出て娘は気を失った。それは、箕のような大きいムカデが娘を食べようとする時、ひき蛙が下から毒気を吐き、ムカデは上から毒気を吐いたので、その勢いでいなずまのように光ったのである。

あくる朝、村人たちが娘の骨を片づけようと堂に入ると、ムカデとひき蛙が倒れており、娘はそのそばに気絶していた。村人たちは娘を村へ連れてきて、甦らせた。村人たちはムカデの死骸を焼き捨て、それからは娘をいけにえにする悪風をなくしたという。(崔仁鶴 一九七四)

KT117 ムカデとひき蛙の闘い

 

【文献資料】1 崔仁鶴 一九七四年 五三~五六頁(一九六八年に、京畿道安養で厳潤燮から聞く)

       ───

            一九八〇年B 二五五~五七頁(一九七六年に、江原道溟州で趙福今(六十一歳)から聞く)

2 朝鮮総督府 七八~八四頁

3 Kim pp.116-122

4 Chang etc. pp.132-133

5 孫晋泰 一九三〇年 四〇~四三頁(一九二一年十一月に、全羅北道全州で柳春燮から聞く)

6 任東権 一二〇~二二頁

7 沈宜麟 二七五~八〇頁

8 任晳宰 一九七五年 四巻 二七四~七八頁

9 金相徳 七五~七九頁

10 金光淳 三一三~一四頁(一九七五年に慶尚北道大邱で記録)

11 崔常寿 二九~三〇頁(一九三四年に京畿道開城で記録)、八二~八六頁(一九三六年に忠清北道清州で記録)

 

【話型構成】略

【ヴァリアント】

開城のムカデ(漢字)山には、千年を経たムカデが住んでいて、しょっちゅう人間に害を与えた。人間たちは不幸を免れるために、毎月娘をいけにえに捧げた。(3

満州ムカデ(漢字)市場というところで、毎年娘をいけにえに捧げた。(3

村の近所の石山のほら穴に大きな蛇がいて、田んぼや畑を荒らしたり、家畜や婦女子をさらっていったりした。(3(4

ムカデは神通力があって、日照りにもできるし、雨を降らせることもできた。村の人たちは山に祠を建て、ムカデ祭りを行った。一年に一度ある大祭には、娘を堂(祠)につれて行って渡す。するとムカデが現れてさらっていく。娘はムカデの妻になったということで、それ以後は絶対、嫁に行けない。(5

 

【解説】

この話は韓国各地で広く語られる話で、伝説としても各地に分布しています。韓国では集落ごとに「堂」という神祀りの場があり、年に一度か二度、集落の祭(堂祭)を行ないます。祭りに際しては、山神に豚をいけにえとして捧げるという習わしがありました。

昔話や伝説には、人身供儀が登場します。犠牲を捧げる相手は、山神のほかに、水の神や天の神(ハヌルニム)などで、招福、祈豊、祈雨、無病息災の祈願を目的とすることが多いようです。

日本の蟹報恩(大成104B)や猿神退治(大成256)等とよく似た話ですが、正体不明の怪物が人身御供の娘を襲い、待ち構えた若者や動物がそれを退治し、娘を救出するというエピソードは、世界中に分布しています。

中国の動物報恩譚を、エバーハルトは「恩を感じる動物)(索引16)、「虎の感謝」(索引17)、「蛇の感謝」(索引18)などに分けて整理していますが、本話は最後の「蛇の感謝」ともっとも近い要素をもっています(『中国昔話集』一巻五四頁、丁乃通・索引554D「ムカデ(漢字)報恩」、金栄華・索引554D「ムカデ(漢字)救主」)。ただし中国で記録された現代の伝承では、韓国のような山神や人身供犠との関連は見られず、ムカデ(ムカデ漢字)やひき蛙(ひきがえる漢字)や蛇などを飼っていた書生が旅行の途中で蛇の妖怪に襲われ、その飼っていた動物が書生を救うために蛇の妖怪と死闘をくりひろげる話になっています。中国ではムカデが援助者として登場します。

また中国の古典には、韓国の伝承と共通する要素をもつものとして晋・干宝『捜神記』(二十巻本)巻十九に見える「季寄」の話があり、東越(現在の福建省)の山中に棲む大蛇の人身御供となった季寄という娘が、犬の助けをかりて大蛇を退治するということになっています。

崔仁鶴・厳鎔姫『韓国昔話集成2』
(悠書館)より