水中明堂

原文

そのジョクサムダ(一重チョゴリのような形をした、河口の近くにある)丘というのが、海の方に向かって繋がっている。その丘の下の海の中がいわば大明地ということだ。大明相ということだよ。それじゃあ、水の下のあそこは何というのだろうか。〔名前を知らず考えてから〕その、弥勒、弥勒がある。これだからこの下が明相なのだ。明相があるということなのだが、その下に、明相の場所に行って墓を造るのだが、墓を造れない〔調査者:水の底だから?〕そう。水の下だから造れない。というのだが、その、老人たちの話では、むかし、どれどれ、話してみると、彌勒のある所に墓を築くのだが、その風水(でよいとされるところに)墓を造るとき、自分の父の頭と、その水の下に下りて行く人の父の頭と、頭二つを借りて来て下りて行って掛けろと、右の耳には自分の父、風水(でよいとされる所には)自分の父の頭を掛けて、左の耳は下りて行く人の父の耳を掛けろ、こういうのがあったのだが、水の下に下りて行って顔を向き合わせて掛けたら、自分のが右に掛けられて、左に掛けられるのだが、怖がって前から掛けられずに後ろから掛けたというのだ。〔調査者:風水が?〕風水は水の下に下りて行けず、潜りが下りて行っただろう。それで、後ろから掛けてしまったという。反対に掛けてしまったということなんですよ。そうしておいて話すと、

「どうなったんだ? 前にちゃんと掛けたか? 後ろから掛けたのか?」

と言うと、後ろから掛けたと言うのだ。

「じゃあ、福は私の福だけだ」

と言ったんだよ。そういうことは弥勒があるという、こういう伝説さ。

〔訳者:趙智英〕

 

【解題】河口にある丘は、海の方に向いており、海の底の弥勒という明堂とつながっている。むかしは海底の弥勒という場所に、お墓を造って葬っていたが、風水の教え通りにしなかったので、福が半減したという話である。このような内容であることから「異人が頼んだことを破って失った明堂」《221-2》という類型に分類されている。南島の巨済島の説話であるが、むかし、実際に行われていた水葬の儀式が、説話化され伝わった事例であろう。

 

221-2 水中明堂(8-2)120

調査場所:慶尚南道巨済郡一運面

調査日:1979年8月6日

語り手:チェ・ソンウ〔최성우〕男・55歳

※海の下に墓を造る明堂があるという話なのだが、他の村ではこのような類型の話を聞けなかったが、この村で水中明堂の説話を、三人から三編聞くことができた。

 

※webのデータベース上では、「(8-2)120」ではなく「(8-2)214」

日韓比較文学研究会『翻訳 韓国口碑文学大系1』
(金壽堂出版)