天人女房

鹿児島県大島郡和泊町

沖永良部島は昔ミカル国といった。ミカル川というきれいな川が流れ、毎月一日と十五日に天女が降りてきて、その川で髪を洗った。

ある一日にミカルシシメという長者が巡視していると、ミカル川に九尺もある美しい髪の毛が一本あった。長者は川を遡って髪を洗っている天女をみつけた。長者は羽衣を取り、天女に自分の家に行きましょう、タバコを何服もあげましょう、と誘った。天女は長者の妻となり、毎日機を織っていた。子どもも生まれ、五歳と三歳になった。

あるとき、五歳の子が三歳の子をあやす歌に、羽衣の場所が歌われていて、天女は羽衣を取りもどした。子を抱いて天に帰ろうとしたが、重くて飛べず、二人の子は残して天に帰った。天女は天の七人の兄弟にこれまでの事を話し、自分の子どもにクレー(運命)を授けてくれるようにと頼んだ。

そうして、七人の兄弟が「夏の夏降り(ナチグリ)、雨と思うな、冬の霜立ち(シムダチ)、雨と思うな」と言うと同時に、下界のミカル国は、見る見るうちに海に沈んでしまった。二人の子どもだけが松の木にのぼって助かった。それからこの島を「沖イラブ島」と名付けた。

『和泊町誌 民俗編』より要約

南薩から沖縄にかけての天女「あもれをなぐ」というのも、神女のようであったり、妖怪のようであったり、果ては平家の落人であったりといろいろだが、これは中でも本土でもお馴染みな雰囲気のお話。

タバコに釣られて長者の家に入ったんじゃないのかという感じもするが、基本的には人間の男が羽衣を隠してしまう話の筋のようだ。原文では「嫌なミカルシシメにだまされて、逃げるにも逃げられず……」といっている。

さて、この話で特徴的なのは最後に大洪水が起こっているところである。これは七夕系の天人女房譚でも見られるモチーフだが(天界の瓜を縦に割ると水が溢れ出てしまう)、七夕ではその洪水が天の川になったと語られる。

しかし、この話を見ると、下界の二人の子どもが洪水を生き延びる、という筋になっているところが目を引く。原文では上の子は「祝女(ヌル)」に、下の子は「アムレ(天女?)」になるように運命を定めてくれ、といっているので二人とも女の子のようだが、本来は男女だったのじゃないか。

島の一族の祖として近親の二人が大洪水を生き延びるという定型が語られていたのじゃないかと思うのだ。そして、それこそが七夕の話の原形であったのでは、とも思える。ここにはそのような七夕から道祖神へと繋がる筋が隠されているかもしれない。