雲仙湖の大蛇

鹿児島県出水郡長島町

島原の雲仙が蛇の怨念(おもい)で崩れた。昔、運に恵まれず貧乏な男がいた。そこへ娘が来て、嫁になった。男は喜び、嫁は妊娠したが、奥間に入って、子を生んで出てくるまで見てくれるな、という。しかし、見るなと言われれば見たくなるもの、三四日しても出てこない嫁が心配で、死んでしまったのではと思った男は奥間を覗いてしまった。

すると中では大蛇がつぶろうって(とぐろを巻いて)、中に子を入れて寝ていた。そして覗かれたことに気が付くと、人の姿になって出てきて、自分は雲仙湖の大蛇で、難儀しているお前を可哀想と思って来たが、正体を知られたらもう居られない、といった。

男は一人では子を育てられない、と泣きついたが、嫁はこれがあれば心配ない、と言って自分の片方の目玉を残して這って去った。ところが、この目玉を吸って、子は泣くこともなく順調に育ったが、これが噂となって、殿様に目玉を取り上げられてしまった。

目玉を失って子が泣いてしようがないので、男は湖に行き蛇の嫁を呼び、訳を話した。すると大蛇は盲目になっても、もう一方の目玉をくれた。しかし、これもまた殿様に取り上げられてしまい、この蛇の怨念で雲仙が崩れたのだそうな。

ところで、この時、雲仙が崩れるのを一番早く知ったのは鍛冶屋だったという。しおが吹きあがっていて、いくら火を起こしても鉄がわかないので、これは碌なことが起こらない、と思った鍛冶屋たちは移り住み、その一週間後に雲仙が崩れたのだ。(東町教育委員会南日本文化研究所『長島の民話ー鹿児島県出水郡』)

『日本昔話通観25』より要約

鹿児島の長島で話されたものだが、男のいたところが長島というのでもないようだ。いわゆる「島原大変肥後迷惑」(寛政の雲仙眉山崩壊によって、津波被害が島原・肥後を襲ったことをいう)の話として語られるので、少なくとも殿様が飲まれた(ということだろう)のは津波被害の甚大だった地区と思われる。

ところで、最後段の鍛冶屋のくだりは内容が通じがたいところがあり、また直接本筋の伝説とは関係がなさそうなのだが、興味深いので省略しなかった。