池の主

原文

昔住吉の池に一匹の大蛇(池の主)が住んでいた。ところが毎年若い娘を人身御供として池に沈めないと、その年は大水が出て堤が切れ、附近の村々に大害を与えていたと言う。しかたがないので村人たちは泣く泣く、年毎にどこかの娘を池に沈めていたのである。毎年祭の頃になると、年頃の娘をもつ家では戦々きょうきょうとしていた。

ところが或年大山村の浜石門の百姓、某の家に白羽の矢がたった。さあ大変、村中は、かなえがわくようなさわぎとなった。浜石門では最愛の娘を人身御供にする悲しさに、娘を中にようしてただ泣きくずれるばかりであった。

ところがそこへ、どこからともなく、見るからにうすぎたない、年老いた坊さんが現われて「それではこうしなさい。先ずヒョウタンを集め、しっかり栓をして、そのまわりに布団を巻き、娘の着物を着せ女の人形を作るのぢゃ、出来上がったらそれを池に浮べるのだ」と言った。その坊さんはみなりこそ、きたならしいが、その眼は輝き、その顔は慈愛にみちていた。浜石門では主人をはじめ一同は喜んで「有難うございます」とおじぎして顔を上げると、これは不思議、今までそこに立っていた坊さんの姿は見えなかった。浜石門では坊さんにおそわったとおりにして、人形を作り池に浮べた。すると一天にわかにかき曇り、たたきつけるような雨が降り出した。恐ろしい風さえ吹きまくった。すると池の中ほどが音をたてて渦を巻き、見るも恐しい大蛇が首をもち上げ、火焔のような舌を、ぺろぺろ出し、くだんの女人形めかけてとびかかって来た。ところが、ヒョウタンのはいった人形は追えば、ひょっこり、呑もうとすればひょっこりと逃げる。大蛇はやっきになっておっかける。何回か追いまわすうち、さしもの池の主、大蛇も精こんつき、しまいには口から血をはき、大きな腹を横たえて死んでしまったという。

浜石門は勿論、村人達の喜びは大きかった。それにしてもあの旅の坊さんは、何と偉い方だろう。本当に有難い方だったと村人たちは相談して、祠を建て「聖の宮」と名づけ、ただ今でも年毎の祭りを続けている。聖の宮にはその時池に浮んだ大蛇の「うろこ」も一緒に祭ったという。

その後、この住吉池に二米もある大きな緋鯉が住むようになった。これはかの大蛇の化身であるという。毎年祭りの頃になると池の中央の水面近くに美しい姿を現わすという話があるが、まだその緋鯉をはっきり見た人はないとか。(『姶良町郷土誌』)

『日本伝説大系14』(みずうみ書房)より