大浪の池

原文

むかし、志布志のふもとに床次(とこなみ)というゆうふくな家がありました。しかしその家には子どもがいないので、夫婦でさびしくくらしていました。夫婦は子どもがほしくてたまらないので、にわさきにある竜神様にどうぞ子どもをさずけてくださいといっしんにおねがいをした。やがてそのかいあって、かあいい女の子どもがうまれました。夫婦はたいへんよろこんで名まえをお浪とつけて、かあいがってそだてました。お浪は大きくなるにつれて、かしこくそしてきれいになりました。しかしどうしたのか、ときどきじっとなにかかんがえこんでいるようなことがありました。お浪がとしごろになったころから、ふしぎなことにお浪のはいていたぞうりが、朝になるとビショビショにぬれていました。またかみをすいてやると、かみの毛のねもとから血がふきでてきました。

ある日、お浪は両親に霧島山につれていってくれとせがみました。あまりいっしんにせがみますので、両親はお浪をつれて霧島山へでかけていきました。けわしい山みちをたどりたどって登っていきますと、やがて山上の大きな池のふちにきました。池はきみのわるいほどあおくすみきっていました。するととつぜんお浪はざんぶと池にとびこんで、およぎはじめました。両親はおどろきあわてて「お浪、お浪」とよびますが、お浪はきこうともしません。そして池のなかほどにたちあがるようにして、そのまま池のそこへきえました。両親は泣きながら「お浪よ、もういちどすがたをみせてくれ」となんどもさけびますと池に大きな波がおこって、みるもおそろしい大蛇のすがたがあらわれました。

こうしたことがあったのでその霧島の池を「お浪の池」とよぶようになり、いまでは「大浪の池」とよんでいます。今も志布志の床次家の竜神様のところからは、きれいな水がわいていますが、それは霧島の大浪池につうじているといわれ、床次家では霧島山に登ることはとめられているそうです。(たかぎ民話)

『日本伝説大系14』(みずうみ書房)より