大浪の池

鹿児島県志布志市

昔、志布志の麓に床次(とこなみ)という裕福な家があった。しかし夫婦には子供がなく、妻はいつも竜神に子授けを祈っていた。やがて祈りが通じたのか女の子が生まれ、お浪と名づけられ育てられた。

お浪は評判となるほど美しい娘に成長したが、不思議なことに履いていた草履が翌朝にはすっかり濡れていたり、髪を梳くと頭皮から血が流れたりした。そして年頃となり婿選びをするが、お浪は取り合わないどころか、病に伏せるようになってしまった。

そんな中、お浪は父親に霧島山へ行きたいと執拗にせがむようにる。あまりにせがむので両親はお浪を連れて霧島山の山上の池へ行った。すると、突然お浪はその池に飛び込んで沈んでしまう。驚いた両親がお浪の名を呼び続けると池から大蛇が姿を現し、別れを告げた。

以来、霧島山の池は「お浪の池」と呼ばれるようになり、いつしか「大浪の池」というようになった。床次の家の竜神様にはきれいな水が湧いているが、それは霧島の大浪池に通じているといわれ、床次家では霧島山には登らない。

『日本伝説大系14』(みずうみ書房)より要約

周辺類話が非常に多い話で、土地を代表する竜蛇伝説である。そのそれぞれはまた追うが、ここにもいくつか気になる点を並べておこう。霧島市の方で語られるものでは、そもそもお浪は霧島山の池の竜神の化身であり、両親の願いに応えていっとき人の娘となったのだ、という話となっている。

また、曽於市の方、親子が霧島山へ向う途中立ち寄った財部では、その際お浪の「髷が訳もなく解けたので出立を見送るように言った」というモチーフが共通して語られる。財部にはその時の着物や鏡が家宝として伝わっていたそうな。

宮崎県西都市の方では穂北郷の豪族仁右衛門の娘お浪の話であるとされ、霧島の池の白蛇が夫婦の願いに応じて娘となっていたのだと語られる。また、お浪が夜に「白馬に姿を変えて」姿を消すのを見られ、一緒に暮らすわけには行かなくなり……という筋となっている。