運定め・水の神

鹿児島県薩摩川内市下甑島

用事から帰る途中の男が大雨に会い、道端の大木の洞に泊まる。夜なかに人声がして大木に、「某の家で産があるから」と誘うが、木は「客があるからお前聞いてきてくれ」と頼んでいる。某とは泊まっているその男である。男が聞いていると、帰った声がして、「男の子だが七つ八つのころ池の主にとられるいが泣きだ。池の修繕がはじまる五月十六日に米団子を二つ作り、長いのは子供が、短いのは父親が食べて『待て待て、取らるる因縁ならば、親子の別れをしよう』と言えば時間が過ぎて、大蛇は池へもどる。それが逃がれる方法なのだが」と報告している。男が家に帰ると男の子が生まれている。子供が七つになった五月十六日に池へ連れて行くと、水が二つに分かれて大蛇が出たので、聞いたとおりにしていると大蛇は去り、子供は七十、八十まで生きた。五月十六日にイノチナガという長短の団子を作るのはそのためである。
(薩摩郡下甑村手打・男・類話・梗概)

『日本昔話通観25』より

運定めの話。関東各地の話と比べると、産神の性質の違いとか(樹木であることが多いようだ)、その回避方法の違いとか(「時間切れ」とするものが多い)いろいろ興味深い点があるが、ここではその「時季」一点に的を絞って紹介する。上の話のように、この地域の水にとられる運命の話は五月六月であることが多い。

関東の運定め・川浸り餅の話は師走朔日であることがもっぱらだが、本来浜降りに同様のものだったのじゃないか、それが一年の反対に持って行かれたのじゃないか、と私が思うのは、この辺りの事情による。