とうびょう蛇の話

岡山県苫田郡鏡野町

倉見村の分限者茂平の息子弥平のところへ、越畑村からお清という娘が嫁に来た。嫁いだお清が不思議に思ったのは、ナンドの奥には絶対に入らせないということだった。

やがて雪が降りはじめ、茂平らは炭焼きに行く頃になった。ある日、お清が炭焼き場に弁当を持って行って帰ってみると、姑が五升鍋に御飯を炊いて、それをハンギリ(木製容器)に入れて、ナンドに運んでいた。

いよいよ不思議に思ったお清が、誰もいない隙にナンドに入ってみると、長持が二棹並べてあった。そっと蓋を開けて見ると、驚いたことに蛇がいっぱい居るではないか。お清は肝を潰して実家へ逃げ帰ったが、妊娠もしており、両親にも説き伏せられ、蛇のことはいえずに戻ることになった。

それからしばらく経ったある日、お清は熱湯をわかすと、いきなり長持の中に浴びせかけた。その夜、茂平の家は火事で丸焼けとなり、家人はこれだけは、と長持を運び出したが、中の何千匹という蛇はすでにみな死んでいた。

茂平はこの「とうびょう蛇」のおかげで分限者になっていたので、これより数年間「熱い、熱い」と悶えて死に、一家も死に絶えた。今も茂平谷には石を高く積み上げた蛇塚があり、お清塚と呼んでいる。

『鏡野町史 民俗編』より要約

四国・中国地方の「とうびょう」という蛇は、蛇の種類というよりも狐でいったら「おさき」のような所謂憑き物とされた蛇のこと。もともとはそういう蛇のトーテムを祀っていただけだろうと思われるが、少なくとも近代には「とうびょう」を飼うとされた家を憑き物筋としてまま差別したという。

この話でも嫁にも極秘としている辺り、そういった雰囲気がある。そもそもとうびょうさんを殺したお清の名が塚名となっているというのも不自然な話であり、伏せられた筋もあるように見える。

とうびょう蛇が神なのかというとそこは微妙で、概ね「(とうびょう様は)小さな蛇で、頭に白または黄色の輪があるのが特徴で、見つけても殺してはいけない。蛇神様のお使であるといわれていた。最近この蛇を見かけることはなくなった(同町史)」などという。