菊石姫

原文

川並村の南に都から落ちのびてきた桐畑太夫という人がいた。一人の女の子が生まれ、菊石姫と名づけかわいがっていた。七、八歳になると美しかった肌に蛇に似たもようが現われたため、屋敷から離れた仮屋に乳母だけをつけて捨ておいた。姫が十八歳の時、干ばつで田畑が次々とかれていった。その時姫は、わたしが湖の主となって雨を降らせようと、湖にとびこんだのである。すると、その姿はたちまち竜となり、岸辺で驚いている乳母に片方の目玉を抜きとり大切にせよと与え、やがて雨がふって人々を喜ばせた。目玉は不思議な力をもっていて、なめると病気が治ったりしたので、お上がとりあげ、さらにもう一方もさし出せと言う。乳母が湖岸に行って姫を呼び、泣く泣く頼んだところ、姫はやむなく目玉を抜いて岸に投げた。その時岩の上に落ち目玉の跡がついたが、今も目玉石として残っている。姫は、目が見えなくなったので、湖水の四方に堂を建て時刻をつげる鐘をついてくれるよう頼み、二度と出てこないから、もし会いたくなったらこの石を見なさいと言って消えていった。今も水中に蛇の枕石といって残っている。姫の母は、姫が哀れで病の床につき死んでしまった。太夫は、余呉湖の回りに七つの堂を建てた。菊石姫が主となってからは余呉湖は暗い海といわれ底は見ることができない。又、川並では、それ以来干ばつの年には菊石姫に頼むと必ず雨を降らせてくれるようになった。姫の身代りの”蛇の枕石”を水からあげ、石の回りを唄にあわせて雨乞い踊りをするのである。(『余呉の民話』)

『日本伝説大系8』(みずうみ書房)より