伊賀地方には一月に勧請縄をかける行事が広く行われている。この行事は、地区の人たちが朝早くに藁を持ってしめ縄をない、大きなわらじやひょうたんなどの作り物をぶら下げて地区の入口に張り渡す、というものである。上野市内で今も勧請縄の行事を行うのは平尾、菖蒲池、東谷の三地区で、それぞれに由来が伝わっているが、平尾の勧請縄の行事に伝説が付随して語られている。
「未申(南西)から丑寅(東北)の方向に流れる川は方角が悪いため、そこから大蛇が男の人に化けて出て女の人をさらっていった。それでしめ縄を張ってこんなことがないようにした。(『ふるさとの昔』長田平尾)」
「昔々、若狭の水と小谷川の水が続いていて、大蛇が行ったり来たりしていた。大蛇は、殿様に仕える若衆に化けて若い人を男の人も女の人もさらっていった。連れて行かれたり食べられたりしてもう二度と戻って来なくなった。そういうことがなくなるようにしめ縄を張るようになった。(市制50周年記念事業 長田小学校)」
勧請縄や道切りは、なんであれ土地の境で外部から厄が入らぬようにしているものであるが、ここでははっきり蛇との関係で語られている。詳しくは分からないが、蛇聟を防ぐことが第一義であるようだ。平尾の勧請縄は今も張られ、谷を渡す80メートルもある長大なものだ。
全国各地で蛇聟譚がたくさん語られるのは、村の娘に余り素性の知れぬ余所者の男になびくとひどいことになる、と教えるのが第一の理由と思われる(「ヒキタのえさで生れた蛇の子」など)。
そのようなわりと具体的な意味を持つ伝説と、地形の向きの吉凶が重ね合わされて、流れを封じるべき筋となっているところが興味深い。各地に悪鬼の通る筋というのが語られるが、そういう話でもありそうだ。
また、勧請縄や東国での道切りというのが蛇を塞ぐと語られることは多くはない(逆に縄綱が蛇型に作られることがままある)が、下総は古賀のほうに、やはり蛇を塞ぐと伝える事例がある(「大山沼の大蛇」)。