昔、寸又峡に沿った山深い大間の里に、機織りの上手な女がいた。その織る布はとても評判が良く、村人だけでなく、遠くからわざわざ見に来る人もいるほどだった。人々がその秘訣を訊ねても、女は答えることもなく、黙って機を織るばかりだった。
ある日のこと、急に空が暗くなり、雨が降りだしたので女は織りかけの布が濡れないようにむしろをかけ、雨の止むのを待った。しかし、雨はやまず、その日は布を織ることができなかった。
次の日は晴れ、女はまたいつものように機を織っていた。すると突然地響きとともに、沢口山の方から大石が転がり落ちてきた。女は逃げようとしたが間に合わず、下敷きになって死んでしまった。村人はこれを悲しみ、この石に「はたご石」と名付け、供養した。
寸又峡にはいろいろの大石があるようだが、このはたご石が今もあるのかは不明。これだけだと単なる落石事故の話である。しかし、全国に「機織り石・岩」というものがたくさんあり(必ずしも落石を語るわけではないが)、この「はたご石」というのもここに一種の磐座信仰があった痕跡なのだと思われる。
岩に耳を当てると中から機を織る音が聞えてくるなど「機織り淵」と同じような機能を持つのが「機織り岩」だ。ここのはたご石の話はそういった面が脱落したものと思われる。そして、そう見ていくと重要となるのが「落石」が単なる事故をいっているのではない、となる可能性だ。
それが「竜蛇に引かれる」と同等の神威の発現を意味しているのだとすると、各地の落石伝説を見直す必要が出てくる。これは特に常陸大宮の「機織り石」の話などを参照されたい。
ところで、同地域では突然の落石が主役を襲う話が竜蛇の話にも見える(「蛇骨沢」)。あるいはそういった展開が好まれるか重要な意味をもった土地だったのかもしれない。