兵太の瀧の巨蟹

原文

中川村大澤里の後方に、三級に飛下するので三階瀧と呼ばれる瀧(高さ五丈八尺、幅八尺。)を、俚俗に、兵太の瀧と言っているのは、昔、兵太というもの、此瀧の滝潭に堕ち死んでから呼ばれるようになったということで、此瀧の中級の潭(つぼ)には、何千年ともわからぬ甲経た巨蟹が棲んでいて、折々、長九郎山などに、獲物を取りに出かけるということである。

時には、山越に稲取の海岸まで突き抜けて、遊んで帰るということであるが、その横這いに駈ける早さというものは、ほとんど眼にもとまらず、此瀧潭から長九郎山鉢山を越えて、稲取の海岸まで一時の間に往来するということである。

夜更けて、風も吹かぬに、遠くの山で、恐ろしい風のような唸り声を聞くことがあるが、それは、此巨蟹の出現したしらせだということである。

今も、稲取村の海浜に剪刀(はさみ)石と言って、巨石対立し、高さ各一丈余に方石自然に挟まるさまの、まるで、剪刀物を挟断するが如きもののあるのは、此巨蟹が、多くの眷属を集め、偉大な力で作り上げたものであるということである。剪刀石の近くに、又、蟹石というものを存している。(口碑)

岩科村岩地の西北の海涯には、蟹倉窟と呼ぶ二窟があるが、ここにも、昔は巨蟹が住んでいたということである。

藤沢衛彦『日本伝説叢書 伊豆の巻』
(日本伝説叢書刊行会・大7)より