普門院

原文

曹洞宗で末寺四十九ヶ寺を有する大寺である。此の寺は鈴木采女正が、堀越御所に請うて、堂を寺となし、足利持氏を開基とし、僧模庵を開祖として居る。什宝として、中将姫蓮糸曼陀羅一軸と、龍の一軸とを蔵して居る。此の龍に付いて伝説がある。

水戸の龍谷院は、普門院の末寺であって、此の寺にも龍の一軸がある。此の二つの龍は雌雄であって、或時普門院の龍が、水戸に行かんとして、そっと逃げ出して裏門まで行ったのを、開山の模庵和尚が見付けて之を追いかけ柱杖で打ったれば、龍は其のまま引返して、元の所におさまったが、柱杖で打たれたため、首の辺の鱗が三枚取れてないのである、日でりつづきの時は、雨乞いのために、此の龍と中将姫の曼陀羅とを出すのである。龍を打った柱杖も、今に蔵してあるという。

普門院の庫裡は、十三間に五間の広大なる建物であるが、天保十五年に死んだ、洞峯千山和尚の建てたものである。庫裡一切の用材は、逆川の明神の森であって、庫裡が正に出来上がろうとした時に、一夜和尚の夢枕に明神が現われて、此の庫裡は明神の森を切って造ったのであるから、此の家を焼き払わんか、又和尚の命を捧げるか、此の中何れになすやと、和尚は命は一代、名は末代であるから、生命を捧げましょうと云いしに、和尚は忽ち熱病となって、悶え苦しみ、大はんぎりに水を持って来て、我が身体を其の水の中に漬けてくれよといって、間もなく死んだ、全身は黒くなって居ったという事である。

千葉星定『南豆伝説集』
(梅仙窟・大正15)より