今からおよそ百三十年ほど前のお話です。
中島村に忠兵衛さんという名主様の館があり、そこにはたいそう働き者の十右エ門という使用人がおりました。
十右エ門はたいへんな力持ちで、その上とても心が優しく、だれからも好かれていました。
「シロや、今日も仕事を始めるとしようか。」
妻や子のいない十右エ門にとって犬の「シロ」は、心の休まる話し相手であり、いつも一緒でした。
朝の内に屋敷の中や庭の掃除を済ませると、狩野川を綱繰り船で向う岸に渡り、城山(じょうやま)に入ってぼた木となる椎や樫の木を伐り、椎茸栽培などをしていました。
ある日の午後の事です。城山に下草刈りに行った十右エ門は、「シロ」が余りにも激しい吠え方をするので、
「変だなあ?」
と首をかしげました。すると、
「ふ~~。」
どこからか生暖かい風が吹いて来たかと思うと何ともいえない匂いが漂って来るではありませんか。思わず振り返ってみると、そこには胴回りが三尺(約一メートル)余りもある大蛇が、藤づるの上に長々と這っているのでした。
目はらんらんと輝き、今にも十右エ門に襲いかかろうとしています。
「おお! 山の神と恐れられている大蛇はこいつだったのか。よし、目に物を見せてやろう。」
十右エ門は、大蛇の腹の下をかいくぐり、藤づるをぐるぐると巻き付けてしまいました。そして、とうとう動けなくなったのを見届けると、さっさと山を下りてしまいました。
その夜の事です。大きな地響きがしたかと思うと、山鳴りが始まり、竜巻が起こり、石が飛びそして大木もなぎ倒されてしまいました。
そんな有様が一晩中続き、村人たちは恐れおののき、眠れぬ夜を過ごしました……。
朝になり、名主様の館には次々と村人たちが集まって来ました。そこで十右エ門は、昨日の城山での出来事を一部始終村人たちに話して聞かせました。
始めの内は、十右エ門の大蛇退治の話に耳を傾けていた村人たちですが、
「待てよ、どうも昨夜の騒ぎは十右エ門が大蛇をやっつけたからに違いない。」
「とんでもない事をしてくれたもんだ。山の神の怒りに触れて、きっと祟りがあるに違いない、困った事になったぞ。」
「そうだそうだ。全く困ったもんだ。」
などと、口々に言い始めました。
この様子を見ていた名主様は、
「このままではおそらく村人たちも治まるまい。また十右エ門のためにも良くないし。」
と思い、十右エ門に暇を出し、当分の間村から出て行くように言いました。
長い間世話になった名主様に、泣く泣く別れを告げ、おかみさんがそっと渡してくれたお餞別を懐に、「シロ」を連れて当ての無い旅に出るのでした。
そんな事があってからしばらくは、村人たちは祟りを恐れて城山へは登らなくなりました。
○ ○ ○
それからどの位たったでしょう。村の元気な若者たちが城山に向かいました。そして、石切り丁場の辺りまで来た時です。
「あっ、あれは何んだ!」
一人の若者が叫びました。
「おお、あれは……。」
そこにはあの十右エ門が退治したという、大蛇の白骨が横たわっているではありませんか。元気な若者たちも、さすがにその姿には驚きましたが、気を取り直すと、大蛇の骨を集めて岩陰の穴に手厚く葬ってやりました。
それからというもの、村には以前のような平和な暮らしが戻って来ました。
○ ○ ○
月日が流れ、大蛇退治の話も遠い昔の事となったある日、名主様の所に一通の便りが届けられました。遠州(浜松地方)の在(田舎)で元気に働いているという十右エ門からでした。名主様は、十右エ門に暇を出した事を済まないと思っていたので、この便りにほっと胸をなで下ろしました。
春になり山々が芽吹く頃、十右エ門は「シロ」を連れて村に戻って来ました。働き者の十右エ門は、今までにも増して一所懸命に、名主様や村のために尽くしたという事です。(原話 会田ふみさん 守木)
かいせつ
城山下をとうとうと流れる狩野川には、かつては綱繰り船と呼ばれる渡し船がありました。(狩野川台風前までは使用されていました)この船は、神島側からそして中島側から仕事や遊びに行く時の重要な手段でした。
この話に出てくる十右エ門も、中島からこの船に乗って城山に入った事でしょう。
江戸時代に書かれた、神益中嶋村絵図には城山は「丈山」となっています。