城山の大蛇

静岡県伊豆の国市

江戸時代も末のころ、中島村の名主の下に働き者で大変な力持ちの十右エ門という使用人がいた。独り者の十右エ門はその日も愛犬シロを連れて、綱繰り船で狩野川を渡り、城山に下草刈り行っていた。ところが、その日に限ってシロが激しく吠え立てるのだった。

変に思っていると、生暖かい風が吹き、振り返ると胴回りが三尺もある大蛇が藤づるの上を這っているのだった。今にも襲い掛かろうとする大蛇だったが、力持ちの十右エ門のこと、これが山の神と恐れられている大蛇かと、藤づるを巻き付け大蛇を動けなくしてしまった。

その夜から、地響きに竜巻、山が鳴り石が飛び大木はなぎ倒されるという異変が一帯を襲った。翌朝、名主様のところで相談を始めた村人たちは、十右エ門の大蛇退治の話を聞いた。みなは、それで山の神が怒ったのだ、とんでもないことをしてくれた、といい始めた。

村人たちがおさまらぬのを見て、名主様は十右エ門に暇を出し旅立たせ、村人たちは城山へ上らなくなった。それからしばらくして、村の元気な若者が城山に入り、大蛇の白骨が横たわっているのを見つけた。そしてその骨を集めて手厚く供養したので、村には平和が戻ったという。

月日が流れ、大蛇騒動も昔の話となったころ、遠州浜松で元気に働いていると、十右エ門から名主のところに手紙があった。名主は胸をなでおろして再び十右エ門を村に迎えた。十右エ門はシロをつれて村に戻り、また一生懸命働いたという。

大仁町教育委員会『おおひと昔ばなし その一』より要約

北流する狩野川の左岸にそびえる岩山であるのが城山(じょうやま)。江戸時代の史料には丈山とも見える。一帯のシンボル的な岩壁となっている。とにかく屹立した岩山、という印象がすべてであり、特に水源というような位置づけでもない。

そうであれば、ここで山の神が大蛇なのだといっている点が重要となってくるだろう。山の神が蛇だという話は少なくないが、多くはその祀られる山が水源でもあるという点で水の蛇という側面を併せ持っているものだ。城山の大蛇にはそれがない、といえる。

また、この話には少々疑問なところもある。それはシロの存在で、話の途中までは主人の危機を訴え吠えるが、わかってもらえず斬られてしまう「忠義な犬」の筋のように見える。また、後半大蛇の骨が語られている点も気になる。

城山そのものがその印象深さに反して同地域の古くの信仰空間での位置づけというのがよくわからず(何らかの式内社に対応していてしかるべきなのだが)、隔靴掻痒という所なのでもある。